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国東市武蔵町吉広 西光寺
西光寺に建っている、高さ約2.5mの国東塔です。2段の基礎には銘文が刻まれており、室町時代の至徳4年(1387)につくられたことがわかります。
由布市湯布院町川北515
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は高さが約1.6mあり、龕部【がんぶ】には六地蔵が彫られています。竿【さお】の六面には文字が彫られています。
豊後大野市三重町松尾1496 吉祥寺
豊後大野市三重町の吉祥寺に伝わる、鎌倉時代につくられた仏像です。吉祥寺は、もとは広福寺といい、天正14年(1586)に島津による豊後侵攻の際に焼けてしまいましたが、この像は火災を逃れ、今に伝わっています。
大分県豊後大野市三重町
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、江戸時代初期に藤原行房という刀工によって作られたものです。行房の作品は少なく、造られた時代が分かる刀として貴重です。
豊後大野市清川町六種
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のシンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この宝塔は、高さが約2mあります。銘文【めいぶん】があり、嘉暦年間 (1326 ~ 28)につくられました。
豊後高田市夷
国東半島一帯には、独特のデザインの塔があり、「国東塔」とよばれています。この塔は、上の方がなくなっていますが、高さは2.34mあり、大きな国東塔です。
宇佐市佐野611 光明寺
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、上の方に二本の線が刻まれています。1つの石に2つの板碑が並んで刻まれています。このように、1つの石に複数の板碑を刻んだものを連碑【れんぴ】とよびます。写真にあるように、光明寺には連碑が2セットが伝わっています。
豊後高田市梅木
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、上の方に二本の線が刻まれています。この板碑は、1つの石の両面を加工して板碑を刻んでいます。このような板碑は、両面板碑とよばれます。
豊後大野市犬飼町黒松
宝塔は、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には、塔のシンボルである相輪(そうりん)があります。 この塔は、高さ253㎝の大型の塔です。塔身【とうしん】に墨で書いた銘文【めいぶん】があり、貞和2年(1348)に建立されたことがわかります。
豊後高田市西真玉 真玉寺
国東半島一帯にあります。屋根の下に、地蔵菩薩等を彫った部分があります。このようなデザインの石塔は、大分県の独特のものといえます。この石殿は、真玉寺の境内にあり、細やかな表現がされている屋根の下の龕【がん】には、六地蔵が彫られています。
宇佐市院内町小坂
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。 それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。地輪に仏の種子【しゅじ】と元徳3年(1331)の年号が刻まれています。
日田市天瀬町馬原
もとは、近くのお寺の跡にあったものを、草三郎大神宮境内に移したと伝えられます。石造五輪塔婆は大分県内では数が少なく珍しいです。横には、同時期のものとみられる角塔婆があります。
中津市耶馬渓町大字中畑1422 正平寺
鳥居は、神社の参道に建てられています。この鳥居は、正平寺【しょうへいじ】というお寺にあります。お寺に鳥居。仏と神は、一体の存在とする神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考えが表現されています。 また、この鳥居は、梵字【ぼんじ】が刻まれていて、まさに神仏習合を物語る文化財です。
大分市永興10 臨済寺
臨済寺【りんざいじ】に安置されている仏像です。つくられたのは平安時代と考えられますが、像に書かれた文字から、江戸時代に修理されたことがわかります。
杵築市大田沓掛1361 宝陀寺
無縫塔【むほうとう】は、上部が丸い形をしている石塔です。丸い形をしているところが塔身【とうしん】で、このようなデザインの塔は、お坊さんのお墓に用いられました。この塔は、宝陀寺を開いた悟庵智徹【ごあんちてつ】(?〜1366)のお墓と伝えられています。
国東市国東町大恩寺2432 文殊仙寺
文殊仙寺の参道に立つ仁王像です。大きな大人の背たけほどある仁王像を、それぞれ一つの石材から彫りだしています。文殊仙寺の記録によると、室町時代につくられたといいます。
豊後高田市蕗2395 富貴寺
石殿は、国東半島一帯にあります。屋根の下に、地蔵菩薩等を彫った部分があります。このようなデザインの石塔は、大分県の独特のものといえます。この石殿は、富貴寺の参道両側にあり、屋根のかざりまで細かく刻まれています。室町時代につくられたものと推定されています。
臼杵市野津町八里合
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑がある地には、「ホウゾウジ」というお寺があったといいます。近くに、国指定重要文化財の五輪塔もあり、かつては「いのりの空間」であったことがうかがえます。