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国東市安岐町朝来2588 八坂社
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑には元弘3年(1333)の年号があり、板碑の歴史を知る上で、基準となる板碑のひとつです。
日田市隈2-7-10 祇園山鉾会館
いまから2000年ほど前に中国で作られた鏡です。鏡の後ろに、神聖な獣の文様や、文字、幾何学模様などがみられます。鏡を納めた箱の蓋の裏書によると、江戸時代に日隈山から出土したといいます。
豊後大野市三重町市場
かつて豊後大野市三重町では、甲斐本鍛冶という有力な刀工集団が刀をつくっていました。この薙刀もその一つで、刻まれた銘文から、江戸時代初めに藤原行家という刀工が作ったことが分かります。
豊後大野市三重町井迫
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この薙刀は、平鎮教という刀工によって室町時代につくられました。大友宗麟の娘が嫁いだ際にもたらされたものと伝わっています。
杵築市奈多229 奈多宮
奈多宮に伝わる神像のうち、6躯は県指定を受けています。それぞれ彫り方や衣の表現、顔つきが違い、作者や時代の差がみられます。
豊後大野市犬飼町高津原
石幢とは、断面が六角形や八角形の石柱と笠、宝珠などからつくられる石塔です。この石幢は、豊後大野市犬飼町高津原地区の古い墓地の入り口付近に立っています。銘文があり、室町時代に、生前供養のためにつくられたことがわかります。
大分市森
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、室町時代に平長盛という刀工が作った豊後刀の中でもすぐれた名刀です。
かつて豊後大野市三重町では、甲斐本鍛冶という有力な刀工集団が刀をつくっていました。この太刀は、刃の長さが95センチ以上ある大きなもので、神社に奉納するためにつくられたと考えられます。
豊後高田市香々地
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、つくられた年がわかる大型の国東塔で、国東塔の歴史を知る上で基準となる塔のひとつです。
国東市国見町岐部
国東市岐部に所在する仏像です。両手に仏具を持っているのが地蔵菩薩像、手を合わせているのが比丘尼像です。2つとも背中に銘文がのこっており、室町時代につくられたことが分かります。
豊後高田市田染真木
地面から突き出た大きな岩に、10体の仏が刻まれています。そして、この岩を覆うように、お堂(薬師堂)が建てられています。岩に仏を刻んだ、この場所は「いのりの空間」であったとみられます。
豊後大野市大野町片島1754 上津神社
よく目にする鳥居とプロポーションが異なります。全体に低めで、太くてまるい柱、鳥居のいちばん上の横にのびる笠木【かさぎ】と島木【しまぎ】もそりがない、これらは古い時代の鳥居の特徴です。
佐伯市弥生床木
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが大きな特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものと、さまざまなデザインがあります。この石幢【せきどう】は、屋根や龕【がん】など全体の断面が四角形です。
杵築市山香町大字山浦
塔婆とは供養のために建てられる石の塔のことです。この角塔婆は14世紀につくられたもので、銘文から建立された経緯や誰が建てたのか分かる貴重な資料です。
豊後高田市是永町1番地1
若宮八幡神社には、江戸時代に島原藩領となった時に造営された本殿・申殿【もうしでん】・唐門・西門が残されています。本殿は、素朴な彫物やすべてケヤキ材を使用しているなど、建築時の建物の特色を見ることができます。
速見郡日出町字二ノ丸2602番1
日出城本丸の北東隅に位置する2階建ての櫓です。禍【わざわい】が入るとされる北東の鬼門に位置するとともに、櫓の北東隅を欠く特異な構造となっています。
杵築市杵築207
江戸時代の終わり頃に杵築藩の重職にあった大原家が居住した屋敷です。主屋【おもや】は杵築藩上級武家の住宅建築を伝える建物として貴重なものです。長屋門も大型の長屋門として貴重な建物です。
豊後大野市三重町久田
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があります。屋根は四角形や六角形、円形のものと、さまざまなデザインがあります。この石幢は、四角形の屋根の下に仏さまを刻んだ龕部【がんぶ】が確認できないものです。