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大分市八幡987 柞原八幡宮
江戸時代の柞原八幡宮のようすが描かれた絵図です。あざやかな色彩で描かれており、非常に美しい絵ですが、当時の建物のすがたや配置が詳しく描かれていることから、歴史を伝える資料としても高い価値があります。
大分市大道
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、藤原實行という刀工が作った豊後刀です。銘文から、江戸時代につくられたことが分かります。年紀のある刀剣は希少価値があります。
日田市前津江町大野8321
日田市の老松天満社に伝わる、207面の懸仏です。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考え方を基に、神の本当の姿である仏を銅板にとりつけて、まつられていたものです。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
宇佐神宮のお祭りにおいて演じられていた舞に使われていたお面です。怖い顔をして、頭に龍が乗っているのは陵王【りょうおう】、長い牙をもっているのは納曽利【なそり】といいます。
豊後大野市三重町内田881 豊後大野市資料館
豊後大野市緒方町の釈迦堂のほこらに安置されていた、丈六【じょうろく】の不動明王像です。不動明王像としては大きいもので、平安時代につくられたものと考えられます。現在は豊後大野市資料館に展示されています。
国東市国見町千灯558-1 千燈寺
国東市の千燈寺に伝わる仏像です。平安時代後期に盛んだった技術を用いて、少し写実性をもたせ、鎌倉時代につくられたものと考えられます。
国東市国東町安国寺1639-2 国東市歴史体験学習館
国東市国東町下成仏に伝わる仏像です。お顔の彫りかたや衣文【えもん】の特徴などから、平安時代後期に国東でつくられたものと考えられます。
豊後大野市緒方町の釈迦堂のほこらに安置されていた、丈六【じょうろく】の仏像です。平安時代につくられたものと考えられます。現在は豊後大野市資料館に展示されています。
中津市本耶馬渓町大字平田三九番地 久福寺
中津市久福寺のお堂に安置されている仏像です。仏像の体や衣の特徴から、平安時代後期につくられたと考えられます。胎蔵界の大日如来像は県内でも類例が少なく、貴重です。
豊後大野市三重町松尾1496 吉祥寺
豊後大野市三重町の吉祥寺に伝わる、鎌倉時代につくられた仏像です。吉祥寺は、もとは広福寺といい、天正14年(1586)に島津による豊後侵攻の際に焼けてしまいましたが、この像は火災を逃れ、今に伝わっています。
宇佐市高森字京塚 大分県立歴史博物館
国東市の桜八幡神社の旧御神体とされる神像です。僧形八幡神(応神天皇)、神功皇后、比売神を表していると考えられます。神社の創建と同じ、平安時代後期につくられたと考えられます。
国東市国見町野田
かつて全光寺に安置されていたと伝わる仏像です。丸くふくよかなお顔や衣の彫り方から、平安時代末期につくられたと考えられます。
姫島村大海 比売語曽社
姫島の南側の大海【おおみ】地区にあります。崖の地層をよくみると、波打っているような模様のところがあります。これを、地球科学の言葉では「コンポリュートラミナ」といいます。
飯塚遺跡は、奈良時代の国前郷の中心地だったと考えられる遺跡です。そこから見つかった50点以上の木簡(文字が書かれた木の札)と墨書土器(墨で文字が書かれた土器)は、当時の耕作・納税など様々な内容を文字から知ることができる、大変貴重な資料です。
豊後大野市緒方町冬原
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。豊後大野市緒方町に伝わっていたものですが、銘文から「住江村地蔵堂」と「円通寺」に奉納されたことが分かります。
大分市上野丘2ー8ー27 金剛宝戒寺
大分市金剛宝戒寺に伝わる銅製の仏像です。頭から足まで一つの鋳型でつくられており、衣文【えもん】の表現などから、飛鳥時代につくられたと考えられます。このような古い時代の仏像は大分県内に他の例がなく、最古期のものといえます。
宇佐市大字南宇佐2859 宇佐神宮
朝鮮半島でつくられたと考えられる鐘です。国内に現存する朝鮮鐘は少なく、貴重ですが、その中でも二番目に古いものです。
経筒は、経典を地中に埋めて後世に残すためにつくられた銅製の容器です。銘文から、この経筒は平安時代のおわりにつくられたもので、父母孝養のために埋められたものと考えられます。