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豊後大野市大野町桑原
豊後大野市大野町にある、全長約45mの前方後円墳です。後円部からは、石のひつぎが見つかっています。古墳の形や出土した遺物から、古墳時代前期につくられたと考えられています。
大分市賀来
大分市にある古墳です。石室の中に、大きな石の棺が置かれています。6世紀後半頃につくられたと考えられます。
日田市田島
日田市にある、直径35mほどの大きな円墳です。古墳の上にはハニワが並べられていたようです。日田地域の首長の墓と考えられます。
由布市挟間町朴木・内成・詰、別府市東山
由布川上流部にある長さ数㎞の峡谷【けいこく】で、谷底までは約30mの絶壁となっています。多数の円形状の穴(甌穴【おうけつ】群)が連続している様子や滝が美しい景観をつくっています。
豊後大野市朝地町大字上尾塚
明治時代につくられた、大野川を舟で下るための水路です。車も汽車もない時代では、舟は大事な交通手段でした。大野川は滝が多く、舟で渡るのが大変な川でしたが、滝をよけるように舟路が造られ、竹田から犬飼まで舟で行けるようになりました。
国東市国東町大恩寺
国東半島に広がる天台宗の寺院群を六郷山【ろくごうさん】といいます。文殊仙寺は、六郷山の3つのグループのひとつ末山【すえやま】に属しました。役行者【えんのぎょうじゃ】の開基とも伝えられ、古くから修行の場としてあったと考えられます。
豊後高田市加礼川
国東半島に広がる天台宗の寺院群を六郷山【ろくごうさん】といいます。長安寺は、六郷山の3つのグループのひとつ中山【なかやま】に属しました。長安寺は屋山の中復にある寺院で、中世以前は惣山【そうざん】屋山寺と呼ばれる六郷山の中心寺院でした。現地には、本堂や講堂の跡が残っています。
豊後高田市長岩屋
国東半島に広がる天台宗の寺院群を六郷山【ろくごうさん】といいます。天念寺は、六郷山の3つのグループのひとつ中山【なかやま】に属しました。中世は長岩屋とよばれ、かつては、天念寺がある谷全体が境内地とされました。現在も、講堂や身滌神社【みそそぎじんじゃ】、川中不動などのゆかりの文化財をみることができます。
由布市挾間町挾間
いまの由布市挾間町周辺を鎌倉時代〜室町時代に治めていた挾間氏の墓地といいます。 県指定有形文化財の五輪塔を含めて20数基の五輪塔が並びます。なかには、寄せ集められ異なる組み合わせで積み上げられたものがありますが、挾間氏の墓石とみられるものが4基あります。
杵築市大田沓掛
鎌倉時代、田原別符【たわらべふ】(現杵築市大田付近)を拠点とした田原氏一族の墓と伝えられています。高さ174cmで四方に種子【しゅじ】が刻まれた五輪塔を中心に、鎌倉時代〜室町時代につくられた五輪塔・宝篋印塔【ほうきょういんとう】・宝塔【ほうとう】などが30基あまり並んでいます。
杵築市大田小野
元応3年(1321)の年号がある国東塔(国指定重要文化財)をはじめ、鎌倉時代〜室町時代の国東塔・五輪塔が100基近く並び立っています。このほかに、独特な板碑もあり、中世の石造物が一ヶ所に集中する貴重な史跡です。
臼杵市臼杵91
時期は諸説ありますが戦国大名大友義鎮【おおともよししげ】が築城し、江戸時代には臼杵藩藩主の居城として利用されました。現在は埋め立てられて陸続きですが、臼杵湾内の小島丹生島にあった城でした。卯寅口門脇櫓【うとのぐちもんわきやぐら】・畳櫓・空堀・石垣等が残存しています。
大分市荷揚町1201
現在の大分市付近を治めていた府内藩の城です。慶長2年(1597)に築城が始まり慶長7年に本丸・二の丸・三ノ丸が完成しました。現在は、天守台他石垣と、江戸時代中の災害後に再建された宗門櫓・人質櫓(県指定)等が残っています。
国東市国東町大字浜崎
不動院跡と言われる場所に、高さ220cm程の石を中心に7基の一石五輪塔【いっせきごりんとう】があります。他の五輪塔と異なり、のっぺりとした外観をしています。平安時代末に作られた、臼杵市中尾の五輪塔(国指定重要文化財)に似ていることから、「祖形」といわれるになったようです。
日田市丸山
日田盆地北側の月隈山にある城です。慶長6年(1601)に小川守光によって築かれましたが、寛永16年(1639)に永山布政所へ政治機能が移ったことをきっかけに、廃城になりました。
杵築市南杵築
江戸時代につくられた枯山水庭園です。庭園の石橋に刻まれた銘文から依頼主・作った年代・庭の作者がわかる貴重な事例です。
佐伯市米水津大字竹野浦
ビロウは、ヤシ科ビロウ属の植物です。竹野浦は、佐伯市米水津【よのうづ】湾にある浦のひとつです。大分県内で、ビロウが湾内の陸地にまとまって生えている所は他にありません。
宇佐市大字川部・高森
宇佐平野を流れる駅館川【やっかんがわ】の東側の台地上にあり、前方後円墳【ぜんぽうこうえんふん】6基を中心とした古墳群です。赤塚古墳は、九州で最も古い時期に築かれた前方後円墳と考えられています。