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大分市大道
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、藤原實行という刀工が作った豊後刀です。銘文から、江戸時代につくられたことが分かります。年紀のある刀剣は希少価値があります。
中津市三光田口 中津市
八面山【はちめんざん】の北西側の中腹にあります。イチイガシは、ドングリがなる木のひとつです。イチイガシ林のうち、大分県北部でのまとまった林として重要です。
別府市火売 火男火売神社
火男火売神社【ほのおほのめじんじゃ】の下宮【げぐう】(鶴見権現社)の境内林です。イチイガシは、ドングリがなる木のひとつです。イチイガシ林のうち、大分県の代表的な林のひとつです。
別府市小倉6組
別府市の鉄輪温泉【かんなわおんせん】地区のいちばん上、方角でいえば西の端にあります。地下からの蒸気で、泥がポコポコと盛り上がり、坊主頭のような形になることから、坊主地獄とよばれるようになりました。
豊後高田市見目
海蝕洞穴は、波によってつくられた海岸の洞穴です。「海蝕」は「海食」とも書き、「海食洞【かいしょくどう】」や「海食洞窟」などともいいます。海食洞は、波によってつくられた切り立った崖(海食崖【かいしょくがい】)のうち、より軟らかな岩石の層や割れ目などが、さらに波などで削られたものです。
別府市朝見 八幡朝見神社
八幡朝見神社の社殿【しゃでん】後側から向かって左側にかけて、アラカシを主とする林が広がります。その林の中に、御神木のクスノキがあります。クスノキは、大分県を代表する巨木【きょぼく】のひとつです。
豊後大野市豊後大野市三重町久田
豊後大野市三重町にある中尾区釈迦堂につたわる仏像です。 お顔や髪型、衣文【えもん】の表現などから平安時代後期につくられたと考えられますが、一部に古い技法が使われており、古い技法を残していた地方の仏師がつくったようです。
大分市上志津留
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は、直径1mを超える大きな笠が特徴です。笠の裏にに残る墨で書かれた文字から、大分県で最も古い重制石幢(部材をいくつも重ねて造られた石幢)とされます。
玖珠郡九重町田野
江戸時代、この木がある飯田高原【はんだこうげん】の東部には岡藩領と幕府領の境界がありました。草原が広がる所に、ここが境界、とわかるように、境界の両側にカシワとクヌギの木を植えたといいます。現在は、カシワの木のみがのこっています。
豊後高田市平野2579 胎蔵寺
神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考え方を基に、神の本当の姿である仏を銅板にとりつけて、まつられていたものです。胎蔵寺に伝わる懸仏は、鎌倉時代から室町時代につくられたものです。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
鎌倉時代のはじめに活躍した豊後の刀工、行平【ゆきひら】の作風を目指して作られた短刀です。安吉という刀工が、鎌倉時代の終わりにつくったものと考えられます。
豊後大野市朝地町鳥田135
豊後大野市にある、神角寺の本堂にまつられていた懸仏です。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考え方を基に、神の本当の姿である仏を銅板にとりつけて、まつられていたものです。
竹田市竹田町2083番地 竹田市歴史文化館・由学館
江戸時代の画家、田能村竹田が死の直前に残した書です。旅先で重い病にかかった竹田は、自分の回復を願ってこの詩を書きました。人生の終わりを感じながらも、強く生きようとする竹田のエネルギーが感じられます。
竹田市竹田町2083番地 竹田市歴史文化館 由学館
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田はすぐれた南画を数多くのこしました。この絵は、竹田が恩師である伊藤鏡河を描いたものです。竹田が肖像画を描くのは珍しく、鏡河への特別な思い入れが伺えます。
大分市寿町2番1号 大分県立美術館
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田はすぐれた南画【なんが】を数多くのこしました。この作品は竹田の代表作で、竹田が稲川という川で友人たちと舟遊びをしたときのようすをもとに描かれています。
日田市天瀬町出口
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。日田市天瀬町の山中薬師堂というお堂に伝わっていた品です。
別府市東山 火男火売神社
鶴見岳【つるみだけ】南側の標高760m~800mにあります。常緑広葉樹【じょうりょくこうようじゅ】のアカガシが代表する樹木で、この林は常緑広葉樹の上限の林です。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
町石とは、道しるべや標識のようなもので、この町石はもとは御許山の山頂にあったと伝わります。現在は宇佐神宮の宝物館でみることができます。造られた時代が古く、貴重な例です。