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大分市寿町2番1号 大分県立美術館
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田はすぐれた南画【なんが】を数多くのこしました。竹田は花や鳥もたくさん描いていますが、この作品はとくに有名です。竹・梅・椿と、2羽の鶴が描かれています。
大分市上野丘2ー8ー27 金剛宝戒寺
涅槃【ねはん】図とは、釈迦の死の様子を描いたものです。釈迦のまわりには弟子や動物たちが集まり、悲しむ様子が描かれています。縦横2mを超えるとても大きな絵です。
速見郡日出町豊岡
ミヤマキリシマは、日本固有種の植物で、標高800m以上の火山山頂一帯に自生し、群落【ぐんらく】をつくります。経塚山は標高614mで、このような標高の低い所に自生することは珍しいです。
豊後大野市三重町松尾1496 吉祥寺
豊後大野市三重町の吉祥寺に伝わる、鎌倉時代につくられた不動明王像です。吉祥寺は、もとは広福寺といい、天正14年(1586)に島津による豊後侵攻の際に焼けてしまいましたが、火災を逃れ、今に伝わっています。
宇佐市大字南宇佐
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、江戸時代のはじめに藤原輝行という刀工がつくりました。つくられた年代が刻まれており、資料として貴重ですが豊後刀の特色をよく表す優れた刀でもあります。
豊後大野市緒方町上畑
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。銘文【めいぶん】の筆者や彫った人の名前まで書かれている、珍しい銘文を持った鰐口です。
佐伯市宇目藤河内
キリは、中国原産の植物とされていましたが、大分県南部の祖母・傾山系【そぼ・かたむきさんけい】で、野生のキリが確認されました。このキリは、昭和34年の指定当時で、高さ20mほどで、当時確認されたキリの中で最大のものでした。
宇佐市大字南宇佐2859 宇佐神宮
江戸時代、日田の代官だった塩谷大四郎は干拓工事に取り組んでいました。この刀は、宇佐新田開発の成功を願って肥後(いまの熊本県)の刀工親子であった延寿国秀・国俊につくらせ、宇佐神宮に奉納したものです。
江戸時代のはじめに宇佐神宮に奉納された刀です。無銘ですが、作風から大和国(いまの奈良県)の手掻派という一派の作とみられます。古い作りをして、よく反った姿が美しい作品です。
江戸時代、日田の代官だった塩谷大四郎は干拓工事に取り組んでいました。この刀は、事業の成功を願って薩摩(いまの鹿児島県)の刀工であった藤原正房につくらせ、宇佐神宮に奉納したものです。
江戸時代に宇佐神宮に奉納された刀です。無銘ですが、刀に梵字【ぼんじ】を彫っています。作風から、肥後国で活躍した延寿一派の末裔による作と考えられます。大きく出来も優秀な刀です。
作者や、奉納などの歴史はくわしく分かりませんが、刀は古く見えるような姿をしており、上品な刀です。室町時代初期につくられたと考えられます。
刀の作りから、土佐(いまの高知県)で活躍した「土佐吉光」と呼ばれる鍛冶一派の作品で、室町時代につくられたと考えられます。奉納の由来などは分かりませんが、刀自体が素晴らしい出来をしており、貴重です。
江戸時代に宣貞という刀工がつくった短剣で、同じく県指定の剣と併せて、宇佐神宮に奉納されたものです。短剣の出来も素晴らしいものですが、銘文や宇佐神宮の記録から奉納されたことがはっきりわかるので、資料的価値があります。
信国という刀工によって、江戸時代につくられ、宇佐神宮に奉納されました。長さは130㎝を超える、とても大きな太刀です。信国派は全国で活躍したと伝わる刀工一派ですが、筑前国(いまの福岡県)で活躍した一派の作品と考えられます。室町時代からの伝統的な作風を守ろうとする努力がうかがえる作品です。
弘包という刀工が、江戸時代の初めにつくった太刀です。弘包は大和国(いまの奈良県)の刀工でした。この太刀は1m近くの長さがあり、伝統的な技法をよく守っていて優れた作品です。
両方に刃がついている、まっすぐな刃物を剣といいます。これは江戸時代に宣貞という刀工がつくった剣で、宇佐神宮に奉納されたものです。剣の出来も素晴らしいものですが、銘文や宇佐神宮の記録から奉納されたことがはっきりわかるので、資料的価値があります。
大分県豊後大野市三重町
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、江戸時代初期に藤原行房という刀工によって作られたものです。行房の作品は少なく、造られた時代が分かる刀として貴重です。