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臼杵市野津町宮原
この板碑は、厚さ約40㎝ほどの1枚の岩に、3つの板碑を刻んだものです。各々は線で区切られていて、高さが1.65mです。各々に種子【しゅじ】が彫られており、中央の種子の下に元弘3年(1333)の年号が刻まれています。
豊後高田市梅ノ木
1つの石に2つの板碑を並べて刻んだもので、このような形の板碑を連碑【れんぴ】といいます。種子【しゅじ】と文中3年(1374)の年号などが墨で記されています。
豊後大野市千歳町長峰
丸い笠が印象的です。同じようなデザインの石幢は、大野川流域にみられます。この石幢は、永禄4年(1561年)に逆修【ぎゃくしゅう】のために建てられた「いのりの遺産」です。
豊後大野市千歳町柴山
大野川流域に多くある、丸い笠の石幢のひとつです。長い銘文【めいぶん】があり、この石幢が天文2年(1533)に建てられたこと、当時の柴山地区は海部郡に属していたことがわかります。
豊後大野市大野町夏足
石造物の部材をみると、平面の形が方形の石幢で、高さは2.3mです。竿部には種子【しゅじ】と長文の銘文【めいぶん】があり、逆修【ぎゃくしゅう】供養のため、六地蔵と閻魔王【えんまおう】を彫ると記されています。
豊後大野市大野町長畑
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。2基の塔とも銘文【めいぶん】があり、正平11年(1356)に生前供養ためにつくられたことがわかります。
豊後大野市大野町中土師
宝篋印陀羅尼【ほうきょういんだらに】というお経を納めた塔で、全体に角ばったデザインは、中国でのデザインがもとになっています。3基の宝篋印塔が指定されています。そのうち、1基に貞和2年(1346)の年号があり、年号がわかる大分県内の宝篋印塔の中でも古い塔です。
国東市国東町来浦
宝篋印陀羅尼【ほうきょういんだらに】というお経を納めた塔で、全体に角ばったデザインは、中国でのデザインがもとになっています。この塔は、各所に細やかな文様【もんよう】が刻まれ、形の整った宝篋印塔です。
別府市鉄輪
別府市の鉄輪【かんなわ】温泉にある白池地獄の庭内にあります。高さ2.25mで、仏の種子【しゅじ】と銘文【めいぶん】が刻まれていますが、読みづらくなっています。このデザインの石幢は、大分県内では例がありません。
別府市大字別府字野口原3030番地16 別府市美術館
写真にあるように、一石五輪塔【いっせきごりんとう】の下に、1.1mの四角形の柱(方柱【ほうちゅう】)をつぎたした総高2.03mの石造物です。四角形の柱には複数の種子【しゅじ】と、正安元年(1299)の年号などが刻まれています。
杵築市大田小野
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、県指定史跡の財前家墓地の近くにあります。高さ2mの巨石にはめ込むように立っています。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
宇佐市山本地区の虚空蔵寺跡【こくぞうじあと】から出土した瓦です。飛鳥時代の資料で、奈良県川原寺【かわはらでら】の瓦の文様に似ています。
宇佐市南宇佐2859
西大門から下りていく坂の途中に立つ木造の鳥居です。檜皮葺屋根【ひわだぶきやね】や台輪を柱の上に置いている点が特徴的です。
宇佐神宮境内の西側を流れる寄藻川にかかる檜皮葺屋根【ひわだぶきやね】のついた橋で、西参道から境内への入り口に位置しています。橋の飾り(擬宝珠【ぎぼし】)には、江戸時代の年号や当時小倉藩をおさめた細川忠利の名前が記されています。
上宮内部の南正門で、2階建ての門です。天皇が派遣する使者(勅使【ちょくし】)など限られた人だけがくぐることのできる門で、ふだんは開いていません。
4本の柱が立つ門で、この門をくぐると国宝の宇佐神宮本殿の屋根がみえてきます。建物の装飾や彩色など豪華な造りをしています。江戸時代に再建された門です。
高倉は、上宮と下宮の間の林の中にある高床式の倉です。寄棟造【よせむねづくり】、檜皮葺屋根【ひわだぶきやね】の江戸時代に復興された建物です。
国宝の宇佐神宮本殿の第二殿にまつられている比売大神【ひめおおかみ】の脇殿と伝えられています。八幡造【はちまんづくり】の建物です。現在の建物は江戸時代につくり替えられたものです。