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大分市八幡987 柞原八幡宮
縁起は、ものごとの由来・歴史を意味する言葉です。この絵巻は、八幡神の歴史そして柞原八幡宮の歴史を絵と詞【ことば】でまとめたものです。
臼杵市野津町老松
宇佐市大字南宇佐2077 大楽寺
武器のようです。密教【みっきょう】で使われる法具【ほうぐ】のひとつです。 武器のようですと書きましたが、もともと古代インドの武器でした。真ん中に持つ所があり、両側にとがった部分があるものを金剛杵【こんごうしょ】といい、五鈷杵はその一種です。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
宇佐神宮の建物工事や儀式などのとりまとめをした家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。いにしえの宇佐神宮の工事や儀式のこと、宇佐神宮の歴史と文化を知る上で、大切な「歴史の証人」です。
杵築市大田永松
杵築市の永松天満宮でまつられていた懸仏です。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考え方を基に、神の本当の姿である仏を銅板にとりつけて、まつられていたものです。
佐伯市大手町1-2-25 佐伯市歴史資料館
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。銘文から、当時の有力者であった佐伯惟直が奉納したことが分かります。室町時代、常楽寺は佐伯氏の信仰を受けていたようです。
中津市1290番地 中津市歴史博物館
中津市山国町の新宮権現社に伝わっていた15面の懸仏です。室町時代につくられました。神仏習合の考え方にもとづいてつくられたもので、神の本当の姿である仏を銅板に貼りつけて、まつっていました。
豊後大野市朝地町鳥田1355 神角寺
神角寺の現在の本堂は、今からおよそ650年前に建てられたものが、度重なる修理を経て残されている建築物です。建物の一部の形状には鎌倉時代に禅宗とともに宋から伝えられた寺院建築様式の一つである禅宗様を残すといわれています。
中津市山国町大字守実120番地
江戸時代の終わりごろに建築された住宅で、建築年代がはっきりしている民家としては九州最古の木造住宅です。山国川上流域に多く見られた屋根の面と面とが交わる棟が折れ曲がった形と深くおろした茅葺【かやぶき】屋根が特色です。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
八幡神【はちまんしん】が最初に神輿に乗ったといわれています。 写真の神輿は、豊前国【ぶぜんのくに】の守護大内氏が制作したものです。宇佐神宮には、八幡神・比売神【ひめがみ】・神功皇后【じんぐうこうごう】がまつられていますので、神輿も3基あります。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
石の地蔵菩薩です。裏側に応安元年の年号と制作を依頼した王盛久【おうもりひさ】の名前が刻まれています。つくられた年がわかり、仏像の歴史を知る時、モノサシとなる作品です。
国東市国東町横手1913 泉福寺
正法眼蔵は、日本で曹洞宗【そうとうしゅう】をひらいた道元【どうげん】(1200〜53)の著書です。道元が、これは大事、と考えた禅問答などをとりあげ、自分の考えをいれながら、まとめた本です。正法眼蔵抄は、お弟子さんたちが書いた解説書のひとつです。
香炉【こうろ】をのせる鉄の台とみられます。浮き彫りの銘文【めいぶん】から、永正3年(1506)につくられ、泉福寺に納められたことがわかります。いつ、つくられたかがわかり、大分県の金属工芸の歴史を知る「ものさし」となる作です。
縁起とは、物事の由来を意味します。この絵は、薦神社の歴史を絵で表現したものです。3つの掛軸【かけじく】で1セットです。なお、写真は第1幅【ふく】から第3幅の順です。
中国のお坊さん・宏智正覚【わんししょうがく】(1091?〜1157)の「言葉の花束」です。日本で曹洞宗【そうとうしゅう】をひらいた道元【どうげん】(1200〜53)にとって、大切な書物でした。
宇佐市大字下時枝237 善光寺
宇佐市の善光寺は、長野県の善光寺、山梨県の善光寺ととも日本三善光寺のひとつとされています。この像は、善光寺式阿弥陀【ぜんこうじしきあみだ】とよばれるデザイで、インドにあらわれて阿弥陀如来の姿を写し、韓国を経由して、日本に伝わってとおます。鎌倉時代に大流行しました。
中津市1290 中津市歴史博物館
江戸時代の中津の城下町【じょうかまち】のことがわかる記録です。町のいろいろなことを、町の人が集まって相談する場所として、会所【かいしょ】がありました。これらの記録は、町会所で作成された記録です。
日田市豆田町
「草野家住宅」は、日田市豆田町にある大分県内最古の商家建築です。また、度重なる火災のため、防火のために柱を土や漆喰【しっくい】で塗った「居蔵造【いぐらづくり】」の形式を伝える大型の商家建築として重要です。