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国東市国東町大恩寺2432 文殊仙寺
今のように時計がなかった頃、人々に時刻をしらせるのは、お寺の鐘でした。お寺の鐘は、むずかしい言葉にすると梵鐘です。この梵鐘は、応永4年(1397)に制作されたことがわかります。
宇佐市大字南宇佐2077 大楽寺
今のように時計がなかった頃、たいていの場合人々に時刻をしらせるのは、お寺の鐘でした。お寺の鐘は、むずかしい言葉にすると梵鐘です。この梵鐘は、永徳2年(1382)に制作されたことがわかります。
大分市八幡987 柞原八幡宮
柞原八幡宮は、豊前国【ぶぜんのくに】の宇佐神宮より分霊【ぶんれい】されたことが社のはじまりといわれています。古くから「豊後国一宮【ぶんごのくにいちのみや】」として信仰をあつめました。
国東市国見町野田
四天王【してんのう】は、仏教で東西南北をみはるガードマンです。この2体の像は、四天王のうちの2体で、持っている物などが後から補われているため、もとの名前ははっきりとしません。
竹田市大字神原 健男霜擬日子神社
竹田市の健男霜擬日子神社に安置されている3躯の神像です。豊後の豪族、緒方氏の伝説にまつわる神像と伝わります。
豊後高田市田染真中2253 真木大堂
仁王は、お寺を守るガードマンで、金剛力士【こんごうりきし】ともいいます。口を開いている(阿形【あぎょう】)像と口をグッと結んでいる(吽形【うんぎょう】)の像の2体で1組です。
豊後高田市鍛治屋町566番地 光巖寺
豊後高田市の光巖寺にある仏像です。からだや衣の表現から、鎌倉時代につくられたとみられます。複雑に折り重なる衣の彫り方に注目です。
宇佐市大字南宇佐2859番地 宇佐神宮
宇佐神宮にある金剛力士像です。像の銘文【めいぶん】から、室町時代に大内氏が宇佐神宮の復興事業を行った際につくられたことがわかりました。
竹田市大字門田
竹田市門田に伝わる、平安時代の仏像です。同所に阿弥陀如来坐像と一緒にまつられています。本来もう一体あり、3体セットだったものと考えられます。
竹田市門田に伝わる、平安時代の仏像です。観音菩薩像と一緒にまつられています。京都の仏師がつくり、もたらされたものと考えられます。
臼杵市野津町大字野津市
明治35年(1902)の国道の開通にあわせて、つくられました。現在、九州にのこる鉄製の桁【けた】をのせた道路用の橋として、最古の橋です。
十王は、亡くなった人が生きているうちに犯した罪をさばき、極楽へいくか地獄へいくかを決める役割をもつといいます。このような十王のうち、閻魔王【えんまおう】がいちばん有名です。
竹田市大字次倉、萩町大字柏原
「白水【はくすい】ダム」とよばれ、現在も多くの農地をうるおす現役の農業用利水ダムとして重要な役割を担っています。1938(昭和13)年建設。スムーズに水を流すために曲面をうまく利用し、その優れた造形で高い評価を得ています。
中津市耶馬渓町大字平田から大字戸原
大分県には石橋がたくさんあります。なかでも、この橋がある耶馬溪【やばけい】には、いくつもの石橋があります。
臼杵市吉小野4296番地 臼杵市文化財管理センター
江戸時代に、中津藩の姫が臼杵藩に嫁いだ際の嫁入り道具です。美しい蒔絵【まきえ】が施されているたくさんの品々は、工芸品としてだけでなく、当時の婚礼を知るための資料的価値も高いものです。
豊後高田市加礼川635 長安寺
太鼓は、お寺の行事をはじめ、さまざまな場面で使われます。そのため壊れることも多く、何かの記念に新しくしたりして、前に作ったものをずっと使い続ける例は少ないです。太鼓の胴の中に文永3年(1266)の年号があり、大切にされてきたことがうかがえます。
日田市前津江町大野833 大野老松天満社
日田市前津江町にある神社です。旧本殿は三間社流造【さんけんしゃながれつくり】、屋根は板葺【いたぶき】で、九州では数少ない室町時代の神社建築です。
宇佐市下時枝237
天徳2年(958)に空也上人【くうやしょうにん】が善光寺を開いたと伝えられています。本堂は鎌倉時代の建築様式を伝える建造物で貴重なものです。