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豊後大野市千歳町長峰
豊後大野市千歳町にある仏像です。ちょっと怖い顔をしていますが、崖を大まかに掘った後、粘土や漆喰【しっくい】で顔や衣を表現するという珍しいつくり方をしているので、このような見た目になっています。
中津市新魚町1903 自性寺
中津市自性寺に残る、池大雅【いけのたいが】の書画です。彼は江戸時代に活躍し、すぐれた書画をたくさん残しました。彼が自性寺を訪れたときの作品が、今も残されており、展示されています。
日田市豆田町5-13 長福寺
長福寺は豆田町にあるお寺で、本堂は江戸時代はじめの建設です。九州地方において17世紀に遡る数少ない浄土真宗本堂です。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
岩窟【がんくつ】のお堂にまつられている仏像群です。本尊の不動明王を中心に、たくさんの木の仏像(木彫仏【もくちょうぶつ】)がまつられています。塑造三尊仏像残欠【そぞうさんぞんぶつぞうざんけつ】(国指定重要文化財)も、同じお堂にまつられていました。
大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館
鎌倉幕府や豊後国守護の大友氏、室町幕府。この古文書群【こもんじょぐん】の差出をみると、時々の政権からのものがあり、鎌倉時代から室町時代の古文書の代表的なものがそろっています。豊後国の武士の古文書群の代表といえます。
臼杵市野津町大字西畑、豊後大野市三重町菅生
江戸時代の終わりに造られたた石橋です。「虹澗橋」の「虹(こう)」はにじ、「澗(かん)」は谷川を現します。「虹澗橋」は「谷を渡る虹のような橋」という意味を持ちます。完成当時は石造アーチ橋として国内最大の規模を誇りました。
国東市安岐町大字西本
小さな釈迦如来の像です。大分県の仏像は木でつくられたものが多く、金属でできた像はあまり例がありません。髪の毛には何も刻まず、シンプルなデザインの仏像です。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
姿なき神が、人を通して伝える言葉、神の声を託宣【たくせん】といいます。 八幡宇佐宮御託宣集は、正和2年(1313)に弥勒寺【みろくじ】のお坊さん・神吽【じんうん】が、託宣や歴史書をもとにまとめたもので、この記録は写本【しゃほん】のひとつです。
杵築市奈多2289 八幡奈多宮
大分市八幡987 柞原八幡宮
縁起は、物事の由来や由緒を意味します。全4巻のうち、1巻は上野国【こうずけのくに】(いまの群馬県)での八幡神の由緒を記したものです。室町時代の九州と関東との交流を物語る記録です。
ヒノキの板に刻まれた、レリーフの像です。四天王は、仏教で世界の中心という須弥山【しゅみせん】で、東西南北を守っています。多聞天は北を守り、単独でまつられる時は毘沙門天【びしゃもんてん】とよばれます。
クスの板に刻まれた、レリーフの像です。明王は、どのような人でも仏教に導こうとする存在で、怖い表情をしています。このうち、不動明王は日本で信仰されました。
豊臣秀吉がおこなった「太閤検地」【たいこうけんち】。この時に作成された検地帳の写【うつし】と江戸時代はじめの検地帳がつたわります。最初の写真2枚は、臼杵の「惣町屋鋪」【そうまちやしき】の検地帳です。当時の臼杵城下の町の様子を知ることができ、貴重です。
中津市本耶馬渓町曽木
夜空にうかぶ北極星(北斗七星とする説もあります)を、仏教では妙見菩薩として信仰しました。妙見菩薩は「星の仏さま」とよばれます。 この像は平安時代の作とみられますが、「星の仏さま」の像は、大分県内でもあまり例がない像です。
日田市大日町
高さが50センチほどの室町時代につくられた仏像です。もともと日田市の安養寺にありましたが、大友氏の兵火で寺が焼け、像は持ち出されたと伝わっています。
佐伯市大字上岡
佐伯市上岡でまつられている3体の仏像で、平安時代につくられたと考えられます。当時の上岡地域をおさめた佐伯氏の影響でつくられました。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
全部で3つあります。1つは菩薩面【ぼさつめん】、あと2つは男女の面です。平安時代の作とみられますが、仮面は実際に行事で使われるため、仏像と比べていまに伝わる例がより少なく、大切な作品です。