ホーム » 検索結果
豊後高田市長岩屋1152-1 天念寺
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。吉祥天は、もともとインドの女神です。その姿を表現する時、着物のヒモの結び目が体の前に2ヶ所あり、中国の女性の服装をしています。
国東市国見町野田
左手を胸のところにあげ、右手を手のひらを上にむけておろしています。この手の形は、大丈夫、心配ない、という意味です。この像は少しきびしめの顔ですが、これは仏師【ぶっし】の個性か、制作を依頼した人の求めなのかはわかりません。仏像の顔にも個性があることが、わかります。
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。仏のなかで、如来は手のかたちで名前がわかりますが、この像は両手先がなくなっています。ただ、釈迦如来と伝えられてきた像です。
大分市八幡987 柞原八幡宮
一木造【いちぼくづくり】の像です。1本の木でつくると、ひび割れなどができる可能性が高くなるため、内刳り【うちぐり】などをして防ごうとします。しかし、この像は内刳りもなく、ただただ1本の木からつくることを第一とすることを意識した像です。
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。勢至菩薩は、観音菩薩【かんのんぼさつ】とともに、阿弥陀如来【あみだにょらい】とトリオになる菩薩です。
豊後高田市小田原
堂々として、やわらかな姿をしています。両手が失われ、焼けた跡もあります。かつて、近くにあった西叡山【さいえいざん】からとんできたと伝えられる観音像です。国東半島の仏像でも、古い時期の作です。
大分市勢家町 法專寺
聖徳太子が二歳のとき、手を合わせて「南無仏」【なむぶつ】と唱えたという伝承をあらわした像です。像に残された文字から、室町時代に康成という仏師によってつくられたことがわかりました。
金剛宝戒寺 大分市上野丘
聖徳太子が二歳のとき、手を合わせて「南無仏」【なむぶつ】と唱えたという伝承をあらわした像です。かわいらしい姿のなかに、高い技術がみとめられる作品です。九州でも古いもので、貴重な作品です。
個性豊かな表情の像です。頭巾【ずきん・ときん】をかぶったお坊さんの像とみられますが、誰を表現しようとしたのか、その姿には手がかりをみつけることができません。柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】では、同宮を開いた金亀【こんき】和尚の像と伝えられています。
竹田市大字拝田原159
江戸時代に、岡藩を治めた中川家の3人の当主の像です。江戸時代のお殿様の彫刻として重要な作品です。神社のご神体として大切にされており、つくられた時の姿をよく残しています。
中津市本耶馬渓町西谷
地蔵菩薩【じぞうぼさつ】は、死後に苦しむ世界にいる人に代わって、苦しみをうけてくれる仏として信仰されました。菩薩のグループにいますが、お坊さんのような姿で表現されます。この像には、延文6年(1361)の年号が記され、制作年代がわかる貴重な像です。
大分市大字木佐上
大分市木佐上でまつられている地蔵菩薩像です。室町時代の作品と考えられますが、衣などには鎌倉時代のような写実的な表現がみられます。
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。仏教では、1人の如来に2人の菩薩でトリオになりますが、この2体の仏像は、薬師如来をトリオを組む、日光菩薩・月光菩薩と伝えられてきました。
明王は、どのような人でも仏教に導こうとする存在です。そのため、怖い表情をしています。不動明王は、特に有名です。この像は、柞原八幡宮に伝わった仏像のひとつで、神と仏はひとつという神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考えを伝えています。
柞原八幡宮に伝わった仏像のひとつです。一木造【いちぼくづくり】の像で、全体にいたみがあります。もとの姿がわかりにくいですが、すわった姿の像(坐像)であったとみられます。仏と神がひとつという神仏習合【しんぶつしゅうごう】の様子を伝える像です。
髪の毛を結い上げて、手をヒザの上で重ねています。定印【じょういん】という手のかたちです。菩薩【ぼさつ】のような姿ですが、どの菩薩かはっきりとしません。 仏像には、仏の名前が特定しづらい場合があります。この像も、そうした像のひとつです。
国東市国東町横手1913 泉福寺
人の姿をリアルに表現しようとした像です。このお坊さんは、無著妙融(1333〜93)です。曹洞宗【そうとうしゅう】のお坊さんで、国東市の泉福寺【せんぷくじ】の初代住職です。
宇佐市南宇佐2176 極楽寺
高さ2.8mの大きな仏像です。室町時代につくられました。宇佐神宮・弥勒寺に関係する仏像として重要です。