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豊後高田市黒土1475 無動寺
大日如来は、密教【みっきょう】という、ひみつの教えで最高の存在とされました。宇宙の真理そのものといわれます。 無動寺【むどうじ】のこの像は、1本の木でつくられた、大きな「丈六」【じょうろく】の大日如来像です。
国東市国見町岐部1806 胎蔵寺
大日如来は、密教【みっきょう】という、ひみつの教えで最高の存在とされました。宇宙の真理そのものといわれます。 両手を忍者のようにしている、胎蔵寺【たいぞうじ】の像は、いくつもの部材でつくられた寄木造【よせぎづくり】の像です。
日出町2830 蓮華寺
蓮華寺【れんげじ】の本尊です。観音菩薩【かんのんぼさつ】は、33の姿に変身するといわれ、千手観音はそのひとつです。彫刻や絵画であらわす時、たいてい手の数は胸の前であわせている2本と背後の40本のあわせて42本です。これは、1本の手で25の世界をすくい、40本で1000の世界の人々をすくうという考え方によります。
宇佐市南宇佐2077 大楽寺
四天王は、仏教では四方を守るガードマン。北は多聞天【たもんてん】、東は持国天【じこくてん】、南は増長天【ぞうちょうてん】。西は広目天【こうもくてん】が守ります。大楽寺【だいらくじ】の像は、平安時代後期につくら、そのデザインは都の雰囲気が強く、京都と宇佐のつながりを伝える像です。
豊後高田市長岩屋1152 鬼会の里
もとは、天念寺【てんねんじ】の北側の岩屋にあった像です。 阿弥陀如来は、はるか西のかなたにある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。この像は、両手を胸の前にかかげて、手のひらをみせています。この手のかたちは今から話をしますよ、という意味です。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
仏教では、2体の菩薩【ぼさつ】を如来の両脇にならべ、3体のトリオにすることがあります。三尊像【さんぞんぞう】とよばれ、如来の脇に立つ菩薩は脇侍【きょうじ】ともいいます。真ん中に阿弥陀如来、向かって右が観音菩薩【かんのんぼさつ】、左が勢至菩薩【せいしぼさつ】です。
宇佐市法鏡寺124 任聖寺
小さな阿弥陀如来の像です。 もとは宇佐八幡宮や弥勒寺【みろくじ】に仕えたお坊さんが住む坊のひとつである真乗坊【しんじょうぼう】にまつられていました。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の様子を知ることができる仏像です。
釈迦が亡くなる時を描いた絵です。 古代インドの暦【こよみ】で2月15日の夜、釈迦は、頭を北に向け右脇を下にして、亡くなりました。釈迦の死を涅槃【ねはん】といいます。この涅槃図では、釈迦は赤い衣をきていますが、これは中国の影響をうけたデザインです。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
ふるさとの歴史をたどる貴重な「歴史の証人」です。 いまの豊後高田市田染地区は、江戸時代は肥前国【ひぜんのくに】島原藩の領地でした。この絵図には、江戸時代の土地利用や集落を描かれていて、当時の風景を復元することができます。
大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館
緑の草原がひろがる阿蘇山の外輪山【がいりんざん】やくじゅう連山のふもとを領地とした田尻氏に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。室町時代までの、豊後国【ぶんごのくに】と肥後国【ひごのくに】の国境地帯の歴史を知る、貴重な記録です。
杵築市奈多229 八幡奈多宮
日本の神は、姿なき存在でした。仏教の影響のもと、神の姿を表現するようになりました。八幡神がお坊さんのような姿をしているのは、奈良時代の終わりころに八幡神は出家し、仏教の道にはいったと考えられたからです。神仏習合【しんぶつしゅうごう】のさきがけといえます。
臼杵藩主の稲葉家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。 江戸時代の幕府との殿様のつながり、稲葉家の歴史を知ることができる「江戸時代の武家」の記録です。
豊前国【ぶぜんのくに】南部(いまの大分県中津市・宇佐市)を拠点とした武士の姿を知ることができます。この古文書群【こもんじょぐん】は、室町時代から戦国の動乱をいきぬいた地域の武士と当時の社会の様子がわかります。豊前国の歴史を知る上でも、基本となる古文書群【こもんじょぐん】です。
弘法大師【こうぼうだいし】へのおもいと聖地・高野山へのあこがれを知ることができます。 豊後国【ぶんごのくに】と高野山とのつながりを伝える古文書群【こもんじょぐん】で、たとえば豊後国守護の大友氏は高野山で亡き人の菩提を弔いました。また、江戸時代以後は、豊後国のさまざまな人々が高野山へおまいりしたことがわかります。
豊前国【ぶぜんのくに】南部(いまの大分県中津市・宇佐市)のうち、宇佐郡元重を拠点とした武士の記録です。戦国の動乱の中、武士はどう生き抜いたのか。戦いのさなかでの武士の姿を伝える古文書群【こもんじょぐん】です。
宇佐市大字南宇佐
荘園【しょうえん】があった時代、室町時代まで番長職【ばんちょうしき】をつとめた家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。室町時代までの、宇佐神宮の祭礼や行事、あるいは荘園や神宮の運営の様子がわかります。
宇佐市大字南宇佐2197・2199 宇佐市
ドイツのクラウス社製の蒸気機関車です。 大正5年(1916)から昭和40年(1965)まで、当時の国鉄宇佐駅を通って、豊後高田から宇佐神宮まで、鉄道が走っていました。宇佐参宮線です。この機関車は、多くの人々の想いを乗せて、走ったのです。
日田市隈2-7-10