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大分市森
長さ68.4cmあり、表に「豊洲高田住藤原行長」裏に「慶長五年2月?日」という銘文があります。この「藤原行長」は「紀行平」という名工の末裔と伝わる刀工です。
国東市国東町岩戸寺1222 岩戸寺
岩戸寺の境内にある高さ2.53mの石幢です。塔身(龕【がん】部)に六地蔵、阿弥陀三尊像【あみださんそんぞう】、閻魔王【えんまおう】が刻まれ、幢身(柱)には僧の豪_【ひでたか】の菩提【ぼだい】と逆修【ぎゃくしゅ】のために文明10年(1478)に造立されたと記されています。
豊後大野市清川村宇田枝
宝生寺【ほうしょうじ】にいたる道の途中にあります。高さ270cmの重制石幢です。竿のしたの銘文【めいぶん】から、永正13年(1516)に法華経千部の読誦供養【どくしょうくよう】のために六地蔵を建立し、現世安穏後生善処【ぜんせあんのんごしょうぜんしょ】を願ったものであることがわかります。
豊後大野市朝地町池田
豊後大野市大野町との境の山中にある墓地に立っている石幢です。一部破損していますが、龕【がん】部の銘文から、一万田氏にゆかりのある塔であることがわかります。
豊後高田市蕗 富貴寺
富貴寺大堂の前に1基、向かって左側に4基の笠塔婆が並んでいます。銘文によると、広増というお坊さんが極楽往生【ごくらくおうじょう】を願って、仁治2年(1241)から文永5年(1268)の間に建てたものです。
日田市大字友田2893−44 日田市埋蔵文化財センター
国指定史跡ガランドヤ古墳で、昭和59・60年度に実施された発掘調査の際に出土した遺物です。2基の古墳から須恵器・馬具・鏡・装身具など921点もの副葬品が見つかっています。特に、2号墳出土の鉄剣の鍔には銀象眼【ぎんぞうがん】が施されており、県内では2例目の発見です。
日田盆地北部にある朝日宮ノ原遺跡では、弥生時代と中世の集落跡と墓が見つかっています。このうち、中世4号土坑墓【どこうぼ】には、湖州鏡【こしゅうきょう】・和鋏【わばさみ】・小型容器など、非常に珍しいものが副葬されていました。
国東市国東町安国寺1639−2 国東市歴史体験学習館
平成6年の一ノ瀬1・2号墳発掘調査で出土しました。鳥船付き装飾器台(鳥と船を模した装飾をした須恵器)が1点と、子持ち器台(複数の器が取り付けられた須恵器)が3点あり、いずれも2号墳の周溝に埋まっていました。鳥船付き器台は、死者を導き運ぶ様子を表したものと考えられています。
大分市牧緑町1-61 大分県立埋蔵文化財センター
巴形銅器とは、半球体から卍字状に突起が広がっている青銅器で、弥生時代〜古墳時代の遺跡から出土しています。この巴形銅器は雄城台遺跡【おぎのだいいせき】(現雄城台高校)から出土しました。
竹田市直入町大字長湯にある、古墳時代の横穴墓から出土した遺物です。内容は、鹿角【ろっかく】製刀剣装具付き鉄刀、夜光貝【やこうがい】製品、石枕など、非常に珍しいものばかりで、被葬者が広い地域と交流があった地域の有力者であったことがうかがえます。
妙楽寺境内の工事中に経筒が見つかり、発掘調査が実施されたことで、湖州鏡【こしゅうきょう】や長胴壺、複数の経筒が出土しました。このお寺で入滅【にゅうめつ】(位の高い僧侶が亡くなること)したと伝わる、頼厳【らいげん】という高名な僧侶との関わりを示す重要な資料です。
大分市里646−1 海部古墳資料館
王ノ瀬石棺は、王ノ瀬天満社で保管されていた古墳時代の棺です。元々は辻古墳の中にありましたが、明治時代に同古墳に作られた神社が王ノ瀬天満社に移転した際に、持ち込まれたそうです。凝灰岩をくりぬいて作られており、「家形石棺」と呼ばれる形をしています。
大分市大字国分960番地1 大分市歴史資料館
大分市内にある猪野遺跡から、埋納された状態で出土しました。全長は、79.9cmで刃の中央部が広い形状の「中広形銅矛」とよばれるものです。大分県内に銅矛は60本近くありますが、この銅矛は発掘調査で出土した初めての資料です。
本資料は、中津市三光佐知にある佐知遺跡で検出された墓(17号遺構)から出土しました。中国の青磁碗や太刀、鉄釘、土師器などがあり、埋葬する際に副葬品として供えられました。これらの品々から、鎌倉時代に埋葬された男性の木棺墓【もっかんぼ】であることがわかります。
杵築市山香町大字野原の龍頭遺跡で出土しました。この編袋は、ツルやイヌビワという植物で編んだもので、食べ物を保存しておく貯蔵穴【ちょぞうけつ】に入っていました。出土した状況からイチイガシ(どんぐり)を運んだ後に、捨てられたようです。
大分市のスポーツ公園を建設する際に、一方平Ⅰ遺跡で発掘調査が実施されました。この遺跡から、旧石器時代に使われた様々な種類の石器や剥片【はくへん】、石核【せっかく】などが出土しており、石器を作成した痕跡が非常に良好な状態で見つかりました。
大分市田室町9-16 長福寺
隠元(1592〜1673)は、中国のお坊さんです。インゲンマメは、隠元が日本に伝えたから、この名前がついたといいます。木庵【もくあん】1611〜84)と即非【そくひ】(1616〜71)も中国のお坊さん。隠元は、黄檗宗【おうばくしゅう】の祖となり、木庵と即非を日本へ招きました。写真は、隠元・木庵・即非の順です。
宇佐市大字南宇佐2859 宇佐神宮
御祓会は、いまは夏越の大祓【おおはらい】いい、毎年6月30日に開催されます。 この絵図は、江戸時代の御祓会を描いたもので、平安時代に始まるという御祓会の様子をビジュアルとして知ることができる作品です。