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臼杵市野津町大字八里合字津留平1162 臼杵市
五輪塔は、5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。この塔は、「備後尾五輪塔」と呼ばれ、一つの石からつくられた五輪塔です。
臼杵市大字中尾
臼杵市野津町大字王子字中馬場3089番地
水田の中に立っています。高さは6.12mで、「水地九重塔」とも呼ばれています。塔のいちばん下の層(一重目)の四面に、それぞれ仏像が彫られています。また、仏像の横に刻まれている銘文【めいぶん】から、文永4年(1267)にたてられたことがわかります。石塔の歴史を知るうえで、基準となる塔です。
国東市国東町岩戸寺1222 岩戸寺
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔【くにさきとう】」とよばれます。この塔は、年号がある国東塔で、最も古いものです。部分の表現もこまやかで、国東塔を代表するものです。
中津市本耶馬溪町跡田1501
中津市羅漢寺に安置された500を超える石仏群です。釈迦とその弟子たちの像と、持っている道具までも石で作られているのが特徴です。中国から伝わった信仰が、石の彫刻となって表されています。
大分市下八幡1382
もともと柞原八幡宮に伝わったとされる仏像です。明治時代の神仏分離によって、大山寺に移されました。平安時代につくられたと考えられ、普賢延命菩薩像のなかでは最も古いものといわれています。
宇佐市南宇佐2859
宇佐神宮内の若宮神社にまつられている神像です。応神天皇【おうじんてんのう】の子どもたち五柱の神像です。それぞれの像が一つの木材から彫られていることや、衣の表現や顔の彫り方の特徴から、平安時代後期に作られたと考えられます。
大分市上野丘2丁目8-27 金剛宝戒寺
大分市の金剛宝戒寺【こんごうほうかいじ】に安置される大きな仏像です。興福寺の仏師【ぶっし】であった康俊【こうしゅん】がつくりました。高さは3メートル以上あり、九州に残る康俊の作品の中ではかなり大きいもので、技術の高さがうかがえます。
国東市国東町安国寺2245
室町幕府を開いた足利尊氏の像です。室町時代の前半に作られたとされ、明治時代に京都のお寺から国東市の安国寺に伝わりました。現存する作品では最古であることから、足利尊氏の姿に最も近いと考えられます。
豊後大野市朝地町鳥田1355
豊後大野市神角寺にある2体の金剛力士像です。守り神として、お寺の入り口の門に安置されています。たくましい筋肉の表現が特徴です。鎌倉時代に作られたと考えられ、数少ない九州の金剛力士像として貴重です。
大分市八幡987
大友氏から柞原八幡宮に贈られたと伝わるよろいかぶとです。かぶとの形から、海外の影響を受けたものだと分かります。神社だけでなく海外ともうまく付き合っていた大友氏の姿がうかがえます。
大分市八幡987 柞原八幡宮
柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に伝わる仏像です。飛鳥時代に作られたと考えられています。銅でつくられた像に、金メッキが施されています。ポーズや衣の表現に珍しい特徴がみられます。
竹田市大字竹田2083番地 竹田市歴史文化館・由学館
豊後岡藩に伝わっていた、「キリシタンベル」とよばれる西洋の鐘です。もともと長崎の病院にあったと考えられますが、なぜか竹田にのこっていました。キリシタン関係の遺品として貴重なものです。
大分市大字上野865番地 大分市美術館
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田はすぐれた南画を数多くのこしました。これらの南画は、竹田の弟子であった帆足杏雨の家に伝わっていたものです。いまは大分市美術館で大切に保管されています。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
宇佐市天福寺に伝わる三体1セットの仏像です。木の芯に縄を巻き付け、土をぬってつくられた塑像とよばれる仏像です。このつくり方の仏像はこわれやすいのですが、九州に残るもののうち一番残りがよいとされているのがこの天福寺の仏像です。
別府市風呂本1組 永福寺
この絵巻は、鎌倉時代に時宗【じしゅう】を開いた一遍【いっぺん】と、その教えを受け継いで広めた他阿【たあ】の生涯を描いたものです。もともと10巻あったとされるうち、第7巻のみ伝わっていますが、すぐれた作品であり、九州に残るものとして貴重です。
この絵は、いまは屏風になっていますが、もともと宇佐神宮の放生会【ほうじょうえ】というお祭りに使う神輿の障子絵だったものです。法華経【ほけきょう】を題材にした絵が描かれています。
宇佐市院内町大門290-2 龍岩寺
かつて、仏さまを安置するところと人々が礼拝するところの建物が異なる場合、仏像を安置する建物を正堂【しょうどう】、礼拝する建物を礼堂【らいどう】といいました。龍岩寺奥院の礼堂は、そうした昔のお堂の様子を伝える建物です。