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豊後高田市小田原
堂々として、やわらかな姿をしています。両手が失われ、焼けた跡もあります。かつて、近くにあった西叡山【さいえいざん】からとんできたと伝えられる観音像です。国東半島の仏像でも、古い時期の作です。
大分市勢家町 法專寺
聖徳太子が二歳のとき、手を合わせて「南無仏」【なむぶつ】と唱えたという伝承をあらわした像です。像に残された文字から、室町時代に康成という仏師によってつくられたことがわかりました。
金剛宝戒寺 大分市上野丘
聖徳太子が二歳のとき、手を合わせて「南無仏」【なむぶつ】と唱えたという伝承をあらわした像です。かわいらしい姿のなかに、高い技術がみとめられる作品です。九州でも古いもので、貴重な作品です。
大分市八幡987 柞原八幡宮
個性豊かな表情の像です。頭巾【ずきん・ときん】をかぶったお坊さんの像とみられますが、誰を表現しようとしたのか、その姿には手がかりをみつけることができません。柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】では、同宮を開いた金亀【こんき】和尚の像と伝えられています。
竹田市大字拝田原159
江戸時代に、岡藩を治めた中川家の3人の当主の像です。江戸時代のお殿様の彫刻として重要な作品です。神社のご神体として大切にされており、つくられた時の姿をよく残しています。
中津市本耶馬渓町西谷
地蔵菩薩【じぞうぼさつ】は、死後に苦しむ世界にいる人に代わって、苦しみをうけてくれる仏として信仰されました。菩薩のグループにいますが、お坊さんのような姿で表現されます。この像には、延文6年(1361)の年号が記され、制作年代がわかる貴重な像です。
大分市大字木佐上
大分市木佐上でまつられている地蔵菩薩像です。室町時代の作品と考えられますが、衣などには鎌倉時代のような写実的な表現がみられます。
豊後高田市長岩屋1152-1 天念寺
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。仏教では、1人の如来に2人の菩薩でトリオになりますが、この2体の仏像は、薬師如来をトリオを組む、日光菩薩・月光菩薩と伝えられてきました。
明王は、どのような人でも仏教に導こうとする存在です。そのため、怖い表情をしています。不動明王は、特に有名です。この像は、柞原八幡宮に伝わった仏像のひとつで、神と仏はひとつという神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考えを伝えています。
柞原八幡宮に伝わった仏像のひとつです。一木造【いちぼくづくり】の像で、全体にいたみがあります。もとの姿がわかりにくいですが、すわった姿の像(坐像)であったとみられます。仏と神がひとつという神仏習合【しんぶつしゅうごう】の様子を伝える像です。
髪の毛を結い上げて、手を膝の上で重ねています。定印【じょういん】という手のかたちです。菩薩【ぼさつ】のような姿ですが、どの菩薩かはっきりとしません。仏像には、仏の名前が特定しづらい場合があります。この像も、そうした像のひとつです。
国東市国東町横手1913 泉福寺
人の姿をリアルに表現しようとした像です。このお坊さんは、無著妙融(1333〜93)です。曹洞宗【そうとうしゅう】のお坊さんで、国東市の泉福寺【せんぷくじ】の初代住職です。
宇佐市南宇佐2176 極楽寺
高さ2.8mの大きな仏像です。室町時代につくられました。宇佐神宮・弥勒寺に関係する仏像として重要です。
国東市国東町岩戸寺1222 岩戸寺
岩戸寺【いわとじ】の奥ノ院【おくのいん】に安置されている薬師如来で、おだやかな姿をしています。今は木の素地【そじ】があらわれています。
日出町大字藤原字下免 願成就寺
日出町の願成就寺に伝わる3体の仏像です。残りがよく、衣や体の表現から平安時代につくられたと考えられます。
日田市大山町西大山5364 烏宿神社
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。銘文【めいぶん】から、室町時代に、文奥という人物が奉納し、さらに大蔵永家という武士が改めて奉納したことがわかります。
日田市大字友田2893-44 日田市埋蔵文化財センター
弥生時代にお祭りのために使っていた矛(鉾)【ほこ】(鉾)です。福岡県から日田市の神社に納められたと伝わっています。
杵築市大田永松 田原若宮八幡社
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この国東塔は簡単に表現した部分があること、全体のデザインから、鎌倉時代〜室町時代初期に作られたとみられます。