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臼杵市野津町大字西畑、豊後大野市三重町菅生
江戸時代の終わりに造られた石橋です。「虹澗橋」の「虹【こう】」はにじ、「澗【かん】」は谷川を現します。「虹澗橋」は「谷を渡る虹のような橋」という意味を持ちます。完成当時は石造アーチ橋として国内最大の規模を誇りました。
国東市安岐町大字西本
小さな釈迦如来の像です。大分県の仏像は木でつくられたものが多く、金属でできた像はあまり例がありません。髪の毛には何も刻まず、シンプルなデザインの仏像です。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
姿なき神が人を通して伝える言葉、神の声を託宣【たくせん】といいます。八幡宇佐宮御託宣集は、正和2年(1313)に弥勒寺【みろくじ】のお坊さん・神吽【じんうん】が、託宣や歴史書をもとにまとめたもので、この記録は写本【しゃほん】のひとつです。
杵築市奈多2289 奈多宮
大分市八幡987 柞原八幡宮
縁起は、物事の由来や由緒を意味します。全4巻のうち、1巻は上野国【こうずけのくに】(いまの群馬県)での八幡神の由緒を記したものです。室町時代の九州と関東との交流を物語る記録です。
ヒノキの板に刻まれた、レリーフの像です。四天王は、仏教で世界の中心という須弥山【しゅみせん】で、東西南北を守っています。多聞天は北を守り、単独でまつられる時は毘沙門天【びしゃもんてん】とよばれます。
クスの板に刻まれた、レリーフの像です。明王は、どのような人でも仏教に導こうとする存在で、怖い表情をしています。このうち、不動明王は日本で信仰されました。
大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館
豊臣秀吉がおこなった太閤検地【たいこうけんち】の時に作成された検地帳の写【うつし】と江戸時代はじめの検地帳が伝わっています。最初の写真2枚は、臼杵の「惣町屋鋪【そうまちやしき】」の検地帳です。当時の臼杵城下の町の様子を知ることができます。
中津市本耶馬渓町曽木
夜空にうかぶ北極星(北斗七星とする説もあります)を、仏教では妙見菩薩として信仰しました。妙見菩薩は「星の仏さま」とよばれます。 この像は平安時代の作とみられますが、「星の仏さま」の像は、大分県内でもあまり例がない像です。
日田市大日町
高さが50㎝ほどの室町時代につくられた仏像です。もともと日田市の安養寺にありましたが、大友氏の兵火で寺が焼け、像は持ち出されたと伝わっています。
佐伯市大字上岡
佐伯市上岡でまつられている3体の仏像で、平安時代につくられたと考えられます。当時の上岡地域をおさめた佐伯氏の影響でつくられました。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
全部で3つあります。1つは菩薩面【ぼさつめん】、あと2つは男女の面です。平安時代の作とみられますが、仮面は実際に行事で使われるため、仏像と比べて現代まで伝わる例がより少なく、大切な作品です。
豊後高田市長岩屋1152-1 天念寺
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。吉祥天は、もともとインドの女神です。その姿を表現する時、着物のヒモの結び目が体の前に2ヶ所あり、中国の女性の服装をしています。
国東市国見町野田
左手を胸のところにあげ、右手を手のひらを上にむけておろしています。この手の形は、大丈夫、心配ない、という意味です。この像は少しきびしめの顔ですが、これは仏師【ぶっし】の個性か、制作を依頼した人の求めなのかはわかりません。仏像の顔にも個性があることが、わかります。
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。仏のなかで、如来は手のかたちで名前がわかりますが、この像は両手先がなくなっています。ただ、釈迦如来と伝えられてきた像です。
一木造【いちぼくづくり】の像です。1本の木でつくると、ひび割れなどができる可能性が高くなるため、内刳り【うちぐり】などをして防ごうとします。しかし、この像は内刳りもなく、ただただ1本の木からつくることを第一とすることを意識した像です。
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。勢至菩薩は、観音菩薩【かんのんぼさつ】とともに、阿弥陀如来【あみだにょらい】とトリオになる菩薩です。