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豊後大野市三重町内山521 蓮城寺
豊後高田市田染平野
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、高さ2.34mで、塔身【とうしん】に刻まれた銘文【めいぶん】から、永和元年(1375)につくられたことがわかります。
豊後大野市千歳町新殿651
豊後大野市千歳町の平尾社にある石の宝塔です。宝塔とは、お経や人骨などを納めた建物のことです。 塔に刻まれた文から宝塔の中に、お経を2部納めていたことがわかります。この宝塔は相輪【そうりん】を失っていますが、高さは2.03mあります。
国東市武蔵町吉広2556 西光寺
国東半島に分布する国東塔【くにさきとう】のひとつです。 一番下の基礎には18行にわたる文章が、真ん中にある鉢形の塔身には地蔵菩薩【じぞうぼさつ】が刻まれています。この文章から室町時代にこの塔が建てられたことがわかります。
豊後高田市田染平野(近道)
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、地区の墓地にあります。塔身【とうしん】に銘文【めいぶん】があり、応安8年(1375)につくられたことがわかります。墓地の中核となる塔です。
杵築市山香町大字内河野
木造の建物をモデルにした石塔です。高さは3.75mで、一番下の層には仏様も表す文字が刻まれています。 第2重(上から2段目)の南面に刻まれた文章から、室町時代に逆修のために建てられたことがわかります。
臼杵市大字稲田字林西平131番地 臼杵神社
佐伯市大字上岡
現佐伯市周辺の有力者であった佐伯氏【さいきし】によって鎌倉時代につくられたようです。後で付け足された相輪【そうりん】を除くと、高さは7.58mあります。所々に彩色が残っており、一番下の初重【しょじゅう】の四方に仏様が刻まれています。
臼杵市大字深田字木原929の2番地
宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼【ほうきょういんだらに】というお経を納めた塔で、デザインは中国でのデザインがもとになっています。この塔は、国宝臼杵磨崖仏の近くにある満月寺【まんがつじ】の中にあります。「日吉塔【ひよしとう】」と呼ばれています。お経を納めるために彫られた格納スペースがあります。
杵築市大田石丸1412 杵築市
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、国東塔のひとつで、塔に刻まれた銘文【めいぶん】から、元徳2年(1330)にお経を納めるためにつくられたことがわかります。
国東市安岐町朝来
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。 この塔は、高さ3mあまりの大型の塔です。塔身【とうしん】には、種子【しゅじ】と銘文【めいぶん】が刻まれ、建武2年(1335)につくられたことがわかります。
大分市八幡987 柞原八幡宮
この薙刀は、元々刀だったものを薙刀作り直したものです。豊後国を治めていた大友氏が柞原八幡宮に納めたと伝わっています。制作者については諸説ありますが、よくわかっていません。
杵築市大田沓掛
中世の国東半島の有力者であった田原直平【たわらなおひら】の墓と伝えられ、高さは411cmのとても大きな層塔です。昭和43年に修理したときに見つかった文字から、延元4年(1339)に建てられたことがわかります。
国東市国東町東堅来
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、国東塔のひとつで、高さが3.97mあります。国東塔の中でも、大型のものです。
この刀は、鎌倉時代の有名な刀職人の国宗【くにむね】が制作した刀です。 豊後国を治めていた大友氏が柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に納めたものと伝わっています。
大分市八幡987
豊後国を治めていた大友氏が、柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に納めた太刀といわれています。 刀に「源国?」という文字と刀の作りから、京都の刀職人がつくったものだと考えられます。
国東市武蔵町三井寺 照恩寺
杵築市大田小野
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、国東半島で有力な一族であった財前家【ざいぜんけ】の墓地にあり、墓地の中心となる塔です。