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豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
仏教では、2体の菩薩【ぼさつ】を如来【にょらい】の両脇にならべ、3体のトリオにすることがあります。三尊像【さんぞんぞう】とよばれ、如来の脇に立つ菩薩は脇侍【きょうじ】ともいいます。真ん中に阿弥陀如来、向かって右が観音菩薩【かんのんぼさつ】、左が勢至菩薩【せいしぼさつ】です。
宇佐市法鏡寺124 任聖寺
小さな阿弥陀如来の像です。もとは宇佐八幡宮や弥勒寺【みろくじ】に仕えたお坊さんが住む坊のひとつである真乗坊【しんじょうぼう】にまつられていました。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の様子を知ることができる仏像です。
宇佐市南宇佐2077 大楽寺
釈迦【しゃか】が亡くなる時を描いた絵です。古代インドの暦【こよみ】で2月15日の夜、釈迦は、頭を北に向け右脇を下にして、亡くなりました。釈迦の死を涅槃【ねはん】といいます。この涅槃図では、釈迦は赤い衣をきていますが、これは中国の影響をうけたデザインです。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
ふるさとの歴史をたどる貴重な「歴史の証人」です。今の豊後高田市田染地区は、江戸時代は肥前国【ひぜんのくに】島原藩の領地でした。この絵図には、江戸時代の土地利用や集落を描かれていて、当時の風景を復元することができます。
大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館
緑の草原がひろがる阿蘇山の外輪山【がいりんざん】や、くじゅう連山のふもとを領地とした田尻氏に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。室町時代までの、豊後国【ぶんごのくに】と肥後国【ひごのくに】の国境地帯の歴史を知る、貴重な記録です。
杵築市奈多229 奈多宮
日本の神は、姿なき存在でした。仏教の影響のもと、神の姿を表現するようになりました。八幡神がお坊さんのような姿をしているのは、奈良時代の終わりころに八幡神は出家し、仏教の道にはいったと考えられたからです。神仏習合【しんぶつしゅうごう】のさきがけといえます。
臼杵藩主の稲葉家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。 江戸時代の幕府との殿様のつながり、稲葉家の歴史を知ることができる「江戸時代の武家」の記録です。
豊前国【ぶぜんのくに】南部(いまの大分県中津市・宇佐市)を拠点とした武士の姿を知ることができます。この古文書群【こもんじょぐん】は、室町時代から戦国の動乱をいきぬいた地域の武士と当時の社会の様子がわかります。豊前国の歴史を知る上でも、基本となる古文書群【こもんじょぐん】です。
弘法大師【こうぼうだいし】へのおもいと聖地・高野山へのあこがれを知ることができます。 豊後国【ぶんごのくに】と高野山とのつながりを伝える古文書群【こもんじょぐん】で、たとえば豊後国守護の大友氏は高野山で亡き人の菩提を弔いました。また、江戸時代以後は、豊後国のさまざまな人々が高野山へおまいりしたことがわかります。
豊前国【ぶぜんのくに】南部(今の大分県中津市・宇佐市)のうち、宇佐郡元重を拠点とした武士の記録です。戦国の動乱の中、武士はどう生き抜いたのか、戦いのさなかでの武士の姿を伝える古文書群【こもんじょぐん】です。
宇佐市大字南宇佐
荘園【しょうえん】があった時代、室町時代まで番長職【ばんちょうしき】をつとめた家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。室町時代までの、宇佐神宮の祭礼や行事、あるいは荘園や神宮の運営の様子がわかります。
宇佐市大字南宇佐2197・2199 宇佐市
ドイツのクラウス社製の蒸気機関車です。 大正5年(1916)から昭和40年(1965)まで、当時の国鉄宇佐駅を通って、豊後高田から宇佐神宮まで、鉄道が走っていました。宇佐参宮線です。この機関車は、多くの人々の想いを乗せて、走ったのです。
日田市隈2-7-10
日田市田島2丁目184番地 大原八幡宮
鉾(矛)【ほこ】とは、長い柄の先に装着して使われた中国の武器です。この青銅製の矛は、全長82.9mで幅は狭くもなく広くもない中広形銅矛【ちゅうびろがたどうほこ】と呼ばれるものです。武器としてではなく、儀式の道具として使われていました。
森貝塚【もりかいづか】は、豊後高田市を流れる桂川の左岸にある縄文時代後期の貝塚です。昭和5年に大分県内で初めての学術調査が行われた遺跡で、瀬戸内海沿岸でよく見られる土器などが出土しました。
昭和23年(1948)に、香々地町(いまの豊後高田市香ヶ地)で開墾が行われた時、岬古墳から、革綴短甲【かわとじたんこう】、鹿角装剣【ろっかくそうけん】、短剣などの鉄製品が見つかりました。 特に、革綴短甲は出土することが全国的にも珍しい資料です。出土遺物から、5世紀頃に供えられたようです。
瑞雲寺【ずいうんじ】の跡地から出土した遺物です。銅造誕生釈迦仏立像【たんじょうしゃかぶつりゅうぞう】のほか、独鈷杵【どっこしょ】の仏具や、青磁劃花蓮華文碗【せいじかくかれんげもんわん】等の陶磁器や、短刀、ガラス小玉などがあります。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
宇佐地域の古代寺院の一つである弥勒寺【みろくじ】の跡地から発掘されました。これらの瓦の大半は、大宰府鴻臚館【だざいふこうろかん】(福岡県)で使われたものと似た瓦で、一部に法隆寺【ほうりゅうじ】(奈良県)で使われた瓦と同類のものが使われていました。