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国東市安岐町糸永1339 瑠璃光寺
阿弥陀如来は、はるか西のかなたにある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。瑠璃光寺【るりこうじ】の像は、右手を体の前にかかげ、左手を下におろしています。この手のかたちは「大丈夫、心配ない」という意味です。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
江戸時代の殿さまの指示でつくったものです。江戸時代の別府一帯の温泉や風景、ならわしなどを伝える貴重なビジュアルデータです。
杵築市奈多229 八幡奈多宮
インパクトのあるお面です。デザインのもとは、はっきりとしません。「陳道」は「鎮道」【ちんどう】の発音が変化したものとみられ、道をきよめて、鎮めるの意味があるといいます。
国東市国東町横手8378 神宮寺
来迎【らいごう】は、命が終わろうとしている人のもとに仏が迎えに来ることです。来迎図は、それを絵にしたもので、阿弥陀如来【あみだにょらい】の来迎図が多くあります。この絵は、十一面観音の来迎を絵にしたもので、あまり例がありません。
この絵は、放牛光林というお坊さんを描いたものです。放牛光林は元(いまの中国)で修行し、日本に戻ってからは京都の建仁寺【けんにんじ】などの住職をしていました。放牛光林が開いたといわれている龍祥寺【りゅうしょうじ】に伝わっていたものです。
国東半島に広がる六郷山【ろくごうさん】のお寺の歴史と文化を知る上で、基本となる古文書群【こもんじょぐん】です。耕地の開発やお寺の行事など、国東半島のいのりとくらしの様子を知ることができます。
豊後高田市黒土1475 無動寺
薬師如来は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといいます。病を治すなど、現世利益【げんせりやく】、この世で人々をすくってくれる仏として信仰されました。十二神将は薬師如来のガードマンです。十二神将像は、薬師如来より後に制作された像です。
国東市国見町櫛海1532 万福寺
両手先がありませんが、万福寺では薬師如来【やくしにょらい】と伝えられる像です。薬師如来は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといいます。この像は、彫刻に適さない木を使っていますが、その木で彫らなければならないわけがあったとみられます。
無動寺 【むどうじ】では、弥勒仏【みろくぶつ】と伝えられてきた像です。弥勒菩薩【みろくぼさつ】は、釈迦【しゃか】が亡くなってから56億7千万年後に如来【にょらい】となり、この世界に現れ人々を救うとされました。弥勒菩薩は、如来となることが約束されているので、如来の姿でも表現されました。すると、お寺の言い伝えも、まんざらではないのかもしれません。
宇佐市南宇佐2077 大楽寺
弥勒菩薩【みろくぼさつ】は、お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後に、如来【にょらい】となり、この世界に現れ、人々をすくうとされました。弥勒菩薩は、未来に如来となることが約束されているので、弥勒仏ともよばれ、如来の姿でも表現されました。この像は、そうした弥勒仏の代表的な作です。
無動寺【むどうじ】の本尊です。明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。なかでも、不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏として、人々に信仰されてきました。
豊後高田市黒土401 応暦寺
明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。なかでも、不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏として、信仰されてきました。応暦寺【おうれきじ】の像は、衣文【えもん】も彫られていません。1本の木にまず仏の姿をあらわすことを第一とする考えにもとづいた像といえます。
国東市国見町岐部1806 胎蔵寺
頭から台座まで1本の木でつくられた像です。木への信仰を感じさせる像のひとつです。地蔵菩薩【じぞうぼさつ】は、死後に苦しむ世界にいる人に代わって、苦しみをうけてくれる仏として信仰されました。菩薩のグループにいますが、お坊さんのような姿で表現されます。
大日如来は、密教【みっきょう】という、ひみつの教えで最高の存在とされました。宇宙の真理そのものといわれます。無動寺【むどうじ】のこの像は、1本の木でつくられた、大きな「丈六【じょうろく】」の大日如来像です。
大日如来は、密教【みっきょう】というひみつの教えで最高の存在とされました。宇宙の真理そのものといわれます。両手を忍者のようにしている、胎蔵寺【たいぞうじ】の像は、いくつもの部材でつくられた寄木造【よせぎづくり】の像です。
日出町2830 蓮華寺
蓮華寺【れんげじ】の本尊です。観音菩薩【かんのんぼさつ】は、33の姿に変身するといわれ、千手観音はそのひとつです。彫刻や絵画であらわす時、たいてい手の数は胸の前であわせている2本と背後の40本のあわせて42本です。これは、1本の手で25の世界をすくい、40本で1000の世界の人々をすくうという考え方によります。
四天王は、仏教では四方を守るガードマン。北は多聞天【たもんてん】、東は持国天【じこくてん】、南は増長天【ぞうちょうてん】。西は広目天【こうもくてん】が守ります。大楽寺【だいらくじ】の像は、平安時代後期につくら、そのデザインは都の雰囲気が強く、京都と宇佐のつながりを伝える像です。
豊後高田市長岩屋1152 鬼会の里
もとは、天念寺【てんねんじ】の北側の岩屋にあった像です。阿弥陀如来は、はるか西のかなたにある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。この像は、両手を胸の前にかかげて、手のひらをみせています。この手のかたちは今から話をしますよ、という意味です。