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宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
昭和23年(1948)に、香々地町(いまの豊後高田市香ヶ地)で開墾が行われた時、岬古墳から、革綴短甲【かわとじたんこう】、鹿角装剣【ろっかくそうけん】、短剣などの鉄製品が見つかりました。 特に、革綴短甲は出土することが全国的にも珍しい資料です。出土遺物から、5世紀頃に供えられたようです。
瑞雲寺【ずいうんじ】の跡地から出土した遺物です。銅造誕生釈迦仏立像【たんじょうしゃかぶつりゅうぞう】のほか、独鈷杵【どっこしょ】の仏具や、青磁劃花蓮華文碗【せいじかくかれんげもんわん】等の陶磁器や、短刀、ガラス小玉などがあります。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
宇佐地域の古代寺院の一つである弥勒寺【みろくじ】の跡地から発掘されました。これらの瓦の大半は、大宰府鴻臚館【だざいふこうろかん】(福岡県)で使われたものと似た瓦で、一部に法隆寺【ほうりゅうじ】(奈良県)で使われた瓦と同類のものが使われていました。
宇佐市芝原
戈【か】は、長い柄の先に直角に取りつけて使う中国の武器です。日本列島でも、中国から伝わった銅戈【どうか】をまねして石の戈をつくり、儀式の道具として使用していました。この石戈は芝原地区の畑で採集されたものです。
宇佐市下時枝237 善光寺
鬼瓦【おにがわら】とは、瓦葺き屋根の端などに設置された装飾性のある瓦です。この瓦は国重要文化財「善光寺本堂【ぜんこうじほんどう】」に使われていました。
古代の宇佐に建立【こんりゅう】された虚空蔵寺【こくぞうじ】という寺の跡地で、2基の蔵骨器【ぞうこつき】が見つかりました。どちらも蓋付きの須恵器【すえき】の壺で、亡くなった人の遺骨を納めていたようです。
大分市牧緑町1-61 大分県立埋蔵文化財センター
国東市安岐町の築山古墳【つきやまこふん】で出土した須恵器【すえき】の壺と器台【きだい】です。この壺と台が、元々の組み合わせかどうかは不明ですが、同じような組み合わせが宇佐市鶴見古墳【つるみこふん】で見つかっており、6世紀頃のものと考えられます。
日田市大字高瀬
日田市高瀬地区の陣ヶ原台地に、甲冑【かっちゅう】をモデルにした石像と、武装した武人をモデルにした石像があります。 甲冑は福岡県の岩戸山古墳【いわとやまこふん】から移されたという説があり、武人は江戸時代につくられたと考えられます。
佐伯市大手町1丁目2番25号 佐伯市歴史資料館
古市石造十三重塔(県指定有形文化財)の周辺から鎌倉時代の蔵骨器【ぞうこつき】が11基見つかっています。そのうち2基が県指定の文化財です。一つは塔の真下にあった四耳壺【しじこ】で、もう一つは古瀬戸【こせと】(現愛知県産)の胴長壺です。
豊後大野市千歳町新殿941 平尾社
石でできた小さな鳥居です。柱は全国的にも珍しく、角張った形をしています。柱に刻まれた文から、南北朝時代(室町時代)に作られ、江戸時代を通して、何回も修理されていることがわかります。
豊後高田市加礼川621-2 長安寺
薄い銅の板にお経が書かれたものです。仏様の教えを未来に伝えるためにつくられたもので、仏への祈りのタイムカプセルといえるものです。
大分を代表する古墳の一つで、古墳時代の宇佐を支配していた人の墓と考えられています。古墳の中の石室と石棺には、銅鏡や石釧【いしくしろ】などの貴重な品々が供えられており、当時大きな力を持っていたヤマト王権と強いつながりがあったことがうかがえます。
戦国大名の大友氏【おおともし】が、拠点にしていた都市「府内【ふない】」の跡地から、見つかったものです。キリスト教に関連したものや茶道具【ちゃどうぐ】、海外の食器など、南蛮貿易【なんばんぼうえき】によって、様々なものが大分に集まりました。
この遺跡から、弥生時代の王様と思われる、偉い人のお墓が見つかりました。大分でも、弥生時代の中頃から王様を中心にしたクニができ始めていたことがわかります。
豊後大野市朝地町上尾塚
石幢の「幢」という漢字には、「はた」の意味があります。すると、石幢は石でつくった「はた」ということができ、その「はた」の形が、この石幢の形です。図にあるように、大分県のほとんどの石幢は、笠の下に仏さまを刻んだ龕【がん】があり、この石幢は、石でつくった「はた」という石幢の文字が示す形を伝えるものといえます。
豊後大野市三重町内山527
豊後大野市三重町内山521 蓮城寺
豊後高田市田染平野
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、高さ2.34mで、塔身【とうしん】に刻まれた銘文【めいぶん】から、永和元年(1375)につくられたことがわかります。