ホーム » 検索結果
国東市来浦
宝篋印陀羅尼【ほうきょういんだらに】というお経を納めた塔で、全体にカクカクしたデザインは、中国でのデザインがもとになっています。この塔は、各所に細やかな文様【もんよう】が刻まれ、形の整った宝篋印塔です。
別府市鉄輪
別府市の鉄輪【かんなわ】温泉にある白池地獄の庭内にあります。 高さ2.25mで、仏の種子【しゅじ】と文章が刻まれていますが、読みづらくなっています。このデザインの石幢は、大分県内では例がありません。
別府市大字別府字野口原3030番地16 別府市美術館
写真にあるように、一石五輪塔【いっせきごりんとう】の下に、1.1mの四角形の柱(方柱【ほうちゅう】)をつぎたした総高2.03mの石造物です。四角形の柱には複数の種子【しゅじ】と、正安元年(1299年)の年号などが刻まれています。
杵築市大田小野
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、県指定史跡の財前家墓地の近くにあります。高さ2mの巨石にはめ込むように立っています。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
宇佐市山本地区の虚空蔵寺跡から出土した瓦です。飛鳥時代の資料で、奈良県川原寺の瓦の文様に似ています。
宇佐市南宇佐2859
西大門から下りていく坂の途中に立つ木造の鳥居です。檜皮葺屋根【ひわだぶきやね】や台輪を柱の上に置いている点が特徴的です。
宇佐神宮境内の西側を流れる寄藻川にかかる檜皮葺屋根【ひわだぶきやね】のついた橋で、西参道から境内への入り口に位置しています。橋の飾り(擬宝珠【ぎぼし】)には、江戸時代の年号や当時小倉藩をおさめた細川忠利の名前が記されています。
上宮内部の南正門で、2階建ての門です。天皇が派遣する使者(勅使【ちょくし】)など限られた人だけがくぐることのできる門で、ふだんは開いていません。
4本の柱が立つ門で、この門をくぐると国宝の宇佐神宮本殿の屋根がみえてきます。建物の装飾や彩色など豪華な造りをしています。江戸時代に再建された門です。
高倉は、上宮と下宮の間の林の中にある高床式の倉です。寄棟造【よせむねづくり】、檜皮葺屋根【ひわだぶきやね】の江戸時代に復興された建物です。
国宝の宇佐神宮本殿の第二殿にまつられている比売大神【ひめおおかみ】の脇殿と伝えられています。八幡造【はちまんづくり】の建物です。現在の建物は江戸時代につくり替えられたものです。
国東市国東町大恩寺2432 文殊仙寺
いまのように時計がなかった頃、たいていの場合人々に時刻をしらせるのは、お寺の鐘でした。お寺の鐘は、むずかしい言葉にすると梵鐘です。この梵鐘は、応永4年(1397)に制作されたことがわかります。
宇佐市大字南宇佐2077 大楽寺
いまのように時計がなかった頃、たいていの場合人々に時刻をしらせるのは、お寺の鐘でした。お寺の鐘は、むずかしい言葉にすると梵鐘です。この梵鐘は、永徳2年(1382)に制作されたことがわかります。
大分市八幡987 柞原八幡宮
柞原八幡宮は、豊前国【ぶぜんのくに】の宇佐神宮より分霊【ぶんれい】されたことが社のはじまりといわれています。古くから「豊後国一宮【ぶんごのくにいちのみや】」として信仰をあつめました。
竹田市直入町長湯 籾山八幡社
社殿の東西及び北西向きの傾斜地【けいしゃち】に、クヌギのように落葉しない、常緑樹【じょうりょくじゅ】であるブナ科のコジイ、スダジイが群生しています。原生林に近い状態を見ることができる場所としても貴重です。
国東市国見町野田
四天王【してんのう】は、仏教で東西南北をみはるガードマンです。この2体の像は、四天王のうちの2体で、持っている物などが後から補われているため、もとの名前ははっきりとしません。
竹田市大字神原 健男霜擬日子神社
竹田市の健男霜擬日子神社に安置されている3躯の神像です。豊後の豪族、緒方氏の伝説にまつわる神像と伝わります。
豊後高田市田染真中2253 真木大堂
仁王は、お寺を守るガードマンで、金剛力士【こんごうりきし】ともいいます。口を開いている(阿形【あぎょう】)像と口をグッと結んでいる(吽形【うんぎょう】)の像の2体で1組です。