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中津市
日田市豆田9-7 廣瀬資料館
筑前国【ちくぜんのくに】(現在の福岡県)の武士・中村氏に関わる古文書群です。これらは、蒙古襲来【もうこしゅうらい】のことや南北朝の動乱のことを具体的に伝える記録です。
豊後高田市田染蕗
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんを三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。この板碑は2基あり、写真左のものが高さ約1.9m、右のものが1.7mあります。額部にと碑身に大きく種子【しゅじ】が彫られています。
日出町1921 松屋寺
3つの肖像画があります。 これらは、日出藩の初代藩主・木下延俊【きのしたのぶとし】(1537~1642)の祖母と父・母を描いたものです。
由布市湯布院町川北515
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は高さが約1.6mあり、龕部【がんぶ】には六地蔵が彫られています。竿【さお】の六面には文字が彫られています。
佐伯市字城山ほか
佐伯城は、慶長6年(1601)に入部した毛利高政によって番匠川【ばんじょうがわ】の河口付近にある八幡山(城山)に、翌年から築城された近世城郭です。現地には曲輪【くるわ】の石垣や登城道の石畳が保存されています。また、山体全体を保護するための石垣や、雨水や地下水の排水・調整機能のための池が残されています。
大分市大字里
大分市東部の大野川と丹生川【にゅうがわ】に挟まれた台地上に立地する飛鳥時代~奈良時代の役所跡です。「コ」の字状に規則的に配置された大型建物がみつかっています。
豊後大野市
宇佐市法鏡寺
法鏡寺は古代の宇佐にあった大きな寺院で、これはその屋根瓦です。軒丸瓦と軒平瓦がありますが、どちらも屋根の縁を飾るためのもので、草花の文様がついています。
釈迦が亡くなる時を描いた絵です。 古代インドの暦【こよみ】で2月15日の夜、釈迦は、頭を北に向け右脇を下にして、亡くなりました。釈迦の死を涅槃【ねはん】といいます。この涅槃図では、釈迦は赤い衣をきていますが、これは中国の影響をうけたデザインです。
大分市
国東市国東町田深429-1 千光寺
一木造【いちぼくづくり】の像です。地蔵菩薩【じぞうぼさつ】は、死後に苦しむ世界にいる人に代わって、苦しみをうけてくれる仏として信仰されました。菩薩のグループにいますが、お坊さんのような姿で表現されます。
日田市東有田
城山古墳は、古墳時代につくられた日田地方を代表する前方後円墳です。埴輪【はにわ】などは確認されていませんが、低く短い前方部は、古い前方後円墳の特徴です。
宇佐市
宇佐市院内町大門 龍岩寺
十二神将は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むという薬師如来【やくしにょらい】のガードマンです。龍岩寺の本堂に安置されています。