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国東市国東町田深429-1 千光寺
阿弥陀如来は、はるか西のかなたの極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。この像は、永仁2年(1294)につくられたことがわかり、仏像制作の歴史で、基準となる像です。
速見郡日出町石道1921 松屋寺
宇佐市院内町大門 龍岩寺
十二神将は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むという薬師如来【やくしにょらい】のガードマンです。龍岩寺の本堂に安置されています。
別府市石垣西
豊後大野市三重町川辺
この五重塔は、宝塔のような形をした軸部の上に五重の屋根が、さらにその上には五輪塔を持つという珍しいものです。川辺五重塔とも言われ、高さは約2.7mあります。
豊後高田市田染蕗
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんを三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。この板碑は2基あり、写真左のものが高さ約1.9m、右のものが1.7mあります。額部にと碑身に大きく種子【しゅじ】が彫られています。
宇佐市法鏡寺
法鏡寺は古代の宇佐にあった大きな寺院で、これはその屋根瓦です。軒丸瓦と軒平瓦がありますが、どちらも屋根の縁を飾るためのもので、草花の文様がついています。
国東市国見町千灯
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。この国東塔は高さが2.6mあり、それぞれの部材形のバランスがよいものです。
日出町1921 松屋寺
3つの肖像画があります。 これらは、日出藩の初代藩主・木下延俊【きのしたのぶとし】(1537~1642)の祖母と父・母を描いたものです。
釈迦が亡くなる時を描いた絵です。 古代インドの暦【こよみ】で2月15日の夜、釈迦は、頭を北に向け右脇を下にして、亡くなりました。釈迦の死を涅槃【ねはん】といいます。この涅槃図では、釈迦は赤い衣をきていますが、これは中国の影響をうけたデザインです。
国東市国東町横手4728 行入寺
明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教に導こうとする存在で、怖い表情をしています。このうち、不動明王は日本で広く信仰されました。この像は、両目を大きく開き、より怖さを表現しています。
一木造【いちぼくづくり】の像です。地蔵菩薩【じぞうぼさつ】は、死後に苦しむ世界にいる人に代わって、苦しみをうけてくれる仏として信仰されました。菩薩のグループにいますが、お坊さんのような姿で表現されます。
中津市
日田市東有田
城山古墳は、古墳時代につくられた日田地方を代表する前方後円墳です。埴輪【はにわ】などは確認されていませんが、低く短い前方部は、古い前方後円墳の特徴です。
臼杵市吉小野4296番地 臼杵市文化財管理センター
臼杵藩主の稲葉氏は、美濃国【みののくに】(現在の岐阜県)の出身です。この古文書群の中心は、美濃国にいた頃の稲葉氏に関わるもので、戦国の動乱の中での武士の姿を伝える古文書群です。
日田市豆田9-7 廣瀬資料館
筑前国【ちくぜんのくに】(現在の福岡県)の武士・中村氏に関わる古文書群です。これらは、蒙古襲来【もうこしゅうらい】のことや南北朝の動乱のことを具体的に伝える記録です。
宇佐市安心院町下毛
下市神社にある崖に不動明王【ふどうみょうおう】坐像を中心に9駆の如来・菩薩・天部などの仏像が浮彫り【うきぼり】で刻まれています。製作時期は室町時代初期と考えられています。
由布市湯布院町川北515
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は高さが約1.6mあり、龕部【がんぶ】には六地蔵が彫られています。竿【さお】の六面には文字が彫られています。