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由布市庄内町龍原
南北朝時代の代表的な墓地です。宝塔約10基と五輪塔が全部で50基以上あります。史跡とともに宝塔6基と五輪塔1基は県指定有形文化財(建造物)に指定されています。
宇佐市山下・上元重
横山谷の西側丘陵の東側の斜面には、多くの横穴墓が造られています。この横穴墓群の正確な数は分かりませんが、横穴墓の数は100基以上あります。
佐伯市字城山ほか
佐伯城は、慶長6年(1601)に入部した毛利高政によって番匠川【ばんじょうがわ】の河口付近にある八幡山(城山)に、翌年から築城された近世城郭です。現地には曲輪【くるわ】の石垣や登城道の石畳が保存されています。また、山体全体を保護するための石垣や、雨水や地下水の排水・調整機能のための池が残されています。
大分市大字里
大分市東部の大野川と丹生川【にゅうがわ】に挟まれた台地上に立地する飛鳥時代~奈良時代の役所跡です。「コ」の字状に規則的に配置された大型建物がみつかっています。
国東市国見町元宮・鬼籠
元宮遺跡は、竹田津湾を一望する山の斜面にあり、自然の大きな石が立てられています。この石を使って儀式をおこなっていた場所と考えられ、出土した土器などから平安時代の遺跡と思われます。
宇佐市南宇佐・日足・正覚寺
宇佐神宮は、全国4万社ともいわれる八幡社の総本社で、国宝の本殿をはじめ、多くの歴史的建造物が残されています。また、奈良時代につくられた弥勒寺【みろくじ】跡からは、神仏習合【しんぶつしゅうごう】の歴史を見ることができます。
玖珠郡玖珠町大字小田
この古墳は、玖珠川の左岸の丘の上にある装飾古墳【そうしょくこふん】です。現在の墳丘は、元の形をほとんど失っていますが、もともとは円形をした古墳(円墳【えんぷん】)でした。
国東市安岐町塩屋
墳丘は径20m×25mで高さ4mのほぼ楕円形をした古墳です。鉄刀や短甲【たんこう】などが発見されていて、墳丘には筒型【つつがた】の埴輪【はにわ】が置いてあったといいます。
臼杵市稲田
この古墳は5世紀中頃につくられたとみられる、全長87mの前方後円墳です。後円部の一部が、社殿が建てられるときに削られてますが、比較的よく形が残っています。また東九州では珍しい短甲【たんこう】を着た姿の埴輪【はにわ】が出土しています。
中津市山国町
鷹巣山は、大分県と福岡県の境にあります。頂上部が塔のように周囲からそそり立つような形をしています。このような地形は、硬い溶岩等で形成された地層部分が浸食によって残ったもので、ビュートといいます。
臼杵市野津町王子
黄金色の竹で、モウソウチクが突然変異したものです。竹は、木で幹に当たる部分を稈【かん】とよびますが、稈が黄金色で緑色の筋があります。
中津市三光西秣
コジイ(ツブラジイ)とアカマツが中心の林です。お寺や神社の境内は、古くから大切にされてきたこともあり、「自然の林」が残るところがあります。この林も、大分県北部に残る「自然の林」のひとつです。
玖珠郡九重町菅原
大分県のうち、くじゅう連山一帯のみに生える木があります。ツクシボダイジュです。このツクシボダイジュの新種がブンゴボダイジュで、大分県でも貴重な木です。
杵築市宮司335 若宮八幡社
杵築市の若宮八幡社の境内林です。この林には、とても高い木、高い木、低い木があり、地面には草がしげっています。このような林のすがたは、自然の状況がわかる基本的なすがたです。
津久見市津久見浦
ウバメガシは、秋にどんぐりの実がなる木のひとつです。硬い木で、備長炭【びんちょうたん】の原料となる木です。
宇佐市大字木内
妙楽寺は求菩提山【くぼてさん】中輿の祖とされる頼厳上人【らいげんしょうにん】ゆかり地と伝えられるお寺です。発掘調査では1号~3号の経塚が見つかっていますが、後の時代の工事によって失われたものを含めると、合計で6基の経塚があったとみられます。
竹田市会々
西光寺はもともと中川氏の播磨国(現在の兵庫県南西部)三木城下にあったお寺で、岡藩の移封(他国へ移すこと)により、文禄4年(1595)竹田に移動しました。境内には江戸時代の建物が多く残っていて、最も古い鐘楼【しょうろう】は元禄4年(1691)に建てられています。
臼杵市二王座
月桂寺は臼杵藩5万石の藩主稲葉家歴代の菩提寺です。慶長13年(1608)に2代藩主稲葉典通により建てられました。月桂寺にみるような寺院や墓所のあり方は、参勤交代制のもとでも国元における菩提寺のあり方をよく示している点が貴重と評価されています。