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臼杵市久木小野
久木小野の集落から東へ約200mの山中にあります。山の中の凝灰岩【ぎょうかいがん】の岩肌には、仏さまの世界を表した種子マンダラをはじめとして、いろいろな文字が彫られています。
大分市曲
石窟【せっくつ】内に置かれた伝釈迦如来【しゃかにょらい】像と、入口に彫られた磨崖仏、石窟の左側に彫られた阿弥陀【あみだ】三尊像磨崖仏からなります。作られた年代は平安時代~室町時代といわれています。
由布市湯布院町川上・川北
由布院地方はキリスト教徒が多く、天正8年(1580)には1,500人の信徒がいたといわれています。指定されているものは60基で、このうち55基は上の面いっぱいに十字架が刻まれています。
豊後高田市黒土・大岩屋
石で作られた覆屋【おおいや】(建物)に囲まれた凝灰岩の壁面に、大日如来【だいにちにょらい】を中心に観音【かんのん】や地蔵【じぞう】などが彫られています。仏像には墨書【ぼくしょ】や彩色が残っています。
大分市下戸次
石で造られた五重塔【ごじゅうのとう】です。四仏の種子【しゅじ】が彫られています。 基礎の石には、延文5年(1360)に平左近允幸広が造ったことが刻まれています。高さは3.3mあり、県内でも大きな規模の五重塔です。
竹田市直入町大字長湯
凝灰岩【ぎょうかいがん】の壁に、右に五輪塔【ごりんとう】中に座る観音菩薩【かんのんぼさつ】、左に五輪塔中に金剛界【こんごうかい】大日如来【だいにちにょらい】が、浅い線を彫【ほ】ってかかれています。
佐伯市宇目大字重岡
凝灰岩【ぎょうかいがん】質の石材で作られた墓で、日輪十字章が彫られています。墓石には、「るいさ」という女性の洗礼名と「元和五年」(1619)に亡くなったことが記されています。
竹田市竹田
礼拝堂は凝灰岩【ぎょうかいがん】の壁をくりぬいたもので、内部はドーム状になっています。礼拝堂の横には禁教後に、宣教師【せんきょうし】が隠れ住んだと伝えられる洞窟があります。
速見郡日出町狐塚
帆足万里は、日出藩家老の家に生まれた江戸時代の窮理【きゅうり】の学者です。三浦梅園【みうら ばいえん】・廣瀬淡窓【ひろせ たんそう】とともに「豊後三賢」の一人にあげられ、学問・教育にその生涯を尽しました。
大分市鶴崎寺司浜
脇蘭室は、江戸時代の教育者で、速見郡の郷里で塾を開いた後に、熊本藩領の鶴崎(現在の大分市鶴崎)で藩士の子弟教育にあたりました。墓碑の「文教脇先生墓」は、郷里の塾で学んだ帆足万里【ほあし ばんり】の書です。
中津市大字植野
犬丸川【いぬまるがわ】下流の台地の端にある縄文時代の貝塚【かいづか】です。貝は、ハマグリなどの浅い海の砂や泥にすむ貝が中心にみつかっています。
臼杵市掻懐
16世紀後半から17世紀初め頃に作られたキリシタン墓です。蒲鉾【かまぼこ】型と直方体型をした2基の墓石からなり、正面のほぼ中央に十字架が刻まれています。
姫島村大海 比売語曽社
姫島の南側の大海【おおみ】地区にあります。崖の地層をよくみると、波打っているような模様のところがあります。これを、地球科学の言葉では「コンポリュートラミナ」といいます。
中津市三光田口 中津市
八面山【はちめんざん】の北西側の中腹にあります。イチイガシは、ドングリがなる木のひとつです。イチイガシ林のうち、大分県北部でのまとまった林として重要です。
別府市火売 火男火売神社
火男火売神社【ほのおほのめじんじゃ】の下宮【げぐう】(鶴見権現社)の境内林です。イチイガシは、ドングリがなる木のひとつです。イチイガシ林のうち、大分県の代表的な林のひとつです。
別府市小倉6組
別府市の鉄輪温泉【かんなわおんせん】地区のいちばん上、方角でいえば西の端にあります。地下からの蒸気で、泥がポコポコと盛り上がり、坊主頭のような形になることから、坊主地獄とよばれるようになりました。
豊後高田市見目
海蝕洞穴は、波によってつくられた海岸の洞穴です。「海蝕」は「海食」とも書き、「海食洞【かいしょくどう】」や「海食洞窟」などともいいます。海食洞は、波によってつくられた切り立った崖(海食崖【かいしょくがい】)のうち、より軟らかな岩石の層や割れ目などが、さらに波などで削られたものです。
別府市朝見 八幡朝見神社
八幡朝見神社の社殿【しゃでん】後側から向かって左側にかけて、アラカシを主とする林が広がります。その林の中に、御神木のクスノキがあります。クスノキは、大分県を代表する巨木【きょぼく】のひとつです。