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豊後高田市田染蕗2395番地 富貴寺
富貴寺参道登り口の左手に立っています。高さ1.34mで、碑身の上部に胎蔵界大日を示す種子【主事】である「アーク」が大きく薬研彫りされています。この板碑は、1361年頃に祐禅という僧侶の7回忌に造立したことが銘文【めいぶん】として記されています。
竹田市大字竹田寺町大字竹田1773 願成院
願成院【がんじょういん】本堂は竹田市に現存する最も古い建物です。江戸時代のはじめに、岡藩二代藩主中川久盛【ひさもり】により建立されました。江戸時代はじめの建築として貴重なものです。
豊後高田市田染蕗
富貴寺境内は、平安時代後期に建立された富貴寺大堂【ふきじおおどう】(国宝)を中心とした寺院です。六郷山寺院の構造や平安時代以降の浄土信仰【じょうどしんこう】を考える上で貴重な遺跡です。
日田市小迫
弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で、環濠集落【かんごうしゅうらく】と豪族居館跡【ごうぞくきょかんあと】がみつかりました。豪族居館跡は、方形の壕【ほり】に囲まれていて、その内部から建物跡がみつかっています。
国東市国東町安国寺
弥生時代の集落【しゅうらく】(ムラ)の跡です。集落の中にある溝から大量の木で作った道具や建物の材料が見つかり注目を集めました。
中津市
福沢諭吉は、『学問のすゝめ(すすめ)』などの著作で有名な明治地代の思想家です。中津で過ごした時の茅葺き【かやぶき】屋根の家や瓦葺き【かわらぶき】の土蔵が残されています。
佐伯市若宮町
弥生時代の貝塚と集落跡で、貝やイノシシ・シカなどの獣骨、稲作に使用する石庖丁【いしぼうちょう】などが出土しています。海や山の幸、稲作や農耕によって生活を維持した海辺の民の生活がわかる貴重な遺跡です。
国東市安岐町富清
三浦梅園は、江戸時代の人間と自然の関係を考えた哲学者で、条理学【じょうりがく】という新しい学問を打ち立てました。梅園も住んだ茅葺き【かやぶき】屋根の家屋や梅園の墓が残されています。
臼杵市福良134
九州でも数少ない江戸時代に作られた木造の三重の塔です。設計は、地元臼杵の名工と伝わる高橋団内が行い、弟子の坂本荘右衛門が監督して、建物を完成させました。
中津市本耶馬渓町樋田・曽木
江戸時代に、僧の禅海が工事をはじめ、16年の歳月をかけてトンネルの道をつくりました。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルとなり、青の洞門は、全国的に知られるようになりました。
豊後大野市千歳町新殿
五輪塔は、5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。大乗寺境内に並んだ2基の五輪塔のうち、向かって左側は、銘文【めいぶん】から貞和3年(1347)、右側は延文5年(1360)頃につくられたものです。
臼杵市大字深田字古園1936番の2 日吉神社
臼杵磨崖仏【うすきまがいぶつ】の、山王山石仏【さんのうさんせきぶつ】がある上の台地に鎮座する日吉神社境内に立っている一石五輪塔【いっせきごりんとう】です。高さは1.05mで銘文【めいぶん】や梵字【ぼんじ】は刻まれていませんが、作風から平安時代末に作られたようです。
中津市耶馬溪町大字平田
別名白米城【まつたけじょう】と呼ばれる城です。元々は、長岩城を拠点にしていた野仲氏の配下の城でしたが、黒田氏が野仲氏を滅ぼした後に、黒田家家臣栗山利安の居城として改修され、新しい石垣を持った城になりました。
山国川からわかれる中津川の河口に位置する総石垣の城です。黒田孝高【くろだよしたか】が天正16年(1588)に築城し、慶長5年(1600)に細川忠興【ほそかわただおき】が大規模に改修したことで、現在に近い形になりました。その後は、歴代中津藩主居城として使われました。
中津市1903番地 自性寺
中津城下町の外側を囲っていた通称「おかこい山」と呼ばれる大きな土塁【どるい】です。現在は大半が失われましたが、自性寺【じしょうじ】の境内に最も良好な状態の土塁が残っています。
中津市耶馬渓町大字川原口
扇山一帯に広がる山城で、広大な城域と石塁や石積みが特徴です。建久【けんきゅう】9年(1198)に野仲重房によって築城され、22代目に至るまで野仲氏の居城でした。しかし、天正16年(1588)に黒田長政が攻め落とし、野仲氏の滅亡とともに廃城となりました。
豊後高田市臼野 個人
長さ81.6cmで、表に「平鎮教【たいらしずのり】」と銘文があります。この刀工は古刀末期(室町時代末)の永禄【えいろく】年間(1558〜1570)に活躍した平高田一派の優秀な刀工です。
大分市森
長さ68.4cmあり、表に「豊洲高田住藤原行長」裏に「慶長五年2月?日」という銘文があります。この「藤原行長」は「紀行平」という名工の末裔と伝わる刀工です。