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杵築市杵築1162 八坂神社
木造の社殿と同様につくられた本格的な石造の社殿で、珍しい資料です。社殿の背面には、江戸時代の年号や作った人物の名前が記されています。
佐伯市大手町1丁目1番1号
佐伯藩主毛利家の居城であった佐伯城三ノ丸入口につくられた櫓門【やぐらもん】で、江戸時代のはじめに建てられた後、2回再建されています。大分県内で現存する城の建物は少ないことから、たいへん貴重な城門です。
豊後大野市犬飼町柴北
大聖寺の境内にある、高さ263㎝の宝篋印塔です。お寺では開山塔と呼ばれており、万寿寺(大分市)を開いた僧侶の弟子の名前が刻まれています。この時期に大野川流域で活躍した玄正【げんしょう】という石工【いしく】が作ったようです。
臼杵市野津町東谷
石幢は神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、屋根は四角形や六角形、円形のものと、さまざまなデザインがあります。この石幢は、大野川流域に多くある、丸い笠の石幢のひとつです。他の部分も円形や八角形で、全体に丸いプロポーションの石造物です。
別府市野田
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。この五輪塔群は、県史跡の「竈門氏墓地古塔群」【かまどしぼちことうぐん】にあります。別に示した図面は、この五輪塔群のひとつを図にしたものです。
臼杵市野津町宮原
この板碑は、厚さ約40㎝ほどの1枚の岩に、3つの板碑を刻んだものです。各々は線で区切られていて、高さが1.65mです。各々に種子【しゅじ】が彫られており、中央の種子の下に元弘3年(1333)の年号が刻まれています。
豊後高田市梅ノ木
1つの石に2つの板碑を並べて刻んだもので、このような形の板碑を連碑【れんぴ】といいます。種子【しゅじ】と文中3年(1374)の年号などが墨で記されています。
豊後大野市千歳町長峰
丸い笠が印象的です。こうしたデザインの石幢は、大野川流域にみられます。 この石幢は、永禄4年(1561年)に逆修【ぎゃくしゅう】のために建てられた「いのりの遺産」です。
豊後大野市千歳町柴山
大野川流域に多くある、丸い笠の石幢のひとつです。 長い銘文【めいぶん】があり、この石幢が天文2年(1533)に建てられたこと、当時の柴山地区は海部郡に属していたことがわかります。
豊後大野市大野町夏足
石造物の部材をみると、平面の形が方形の石幢で、高さは230cmです。 竿部には種子【しゅじ】と長文の銘文があり、逆修【ぎゃくしゅう】供養のため、六地蔵と閻魔王【えんまおう】を彫ると記されています。
豊後大野市大野町長畑
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。2基の塔とも銘文【めいぶん】があり、正平11年(1356)に生前供養ためにつくられたことがわかります。
豊後大野市大野町中土師
宝篋印陀羅尼【ほうきょういんだらに】というお経を納めた塔で、全体にカクカクしたデザインは、中国でのデザインがもとになっています。3基の宝篋印塔が指定されています。そのうち、1基に貞和2年(1346)の年号があり、年号がわかる大分県内の宝篋印塔の中でも古い塔です。
国東市来浦
宝篋印陀羅尼【ほうきょういんだらに】というお経を納めた塔で、全体にカクカクしたデザインは、中国でのデザインがもとになっています。この塔は、各所に細やかな文様【もんよう】が刻まれ、形の整った宝篋印塔です。
別府市鉄輪
別府市の鉄輪【かんなわ】温泉にある白池地獄の庭内にあります。 高さ2.25mで、仏の種子【しゅじ】と文章が刻まれていますが、読みづらくなっています。このデザインの石幢は、大分県内では例がありません。
別府市大字別府字野口原3030番地16 別府市美術館
写真にあるように、一石五輪塔【いっせきごりんとう】の下に、1.1mの四角形の柱(方柱【ほうちゅう】)をつぎたした総高2.03mの石造物です。四角形の柱には複数の種子【しゅじ】と、正安元年(1299年)の年号などが刻まれています。
杵築市大田小野
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、県指定史跡の財前家墓地の近くにあります。高さ2mの巨石にはめ込むように立っています。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
宇佐市山本地区の虚空蔵寺跡から出土した瓦です。飛鳥時代の資料で、奈良県川原寺の瓦の文様に似ています。
宇佐市南宇佐2859
西大門から下りていく坂の途中に立つ木造の鳥居です。檜皮葺屋根【ひわだぶきやね】や台輪を柱の上に置いている点が特徴的です。