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大分市上野丘2-8-27 金剛宝戒寺
明王は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。金剛宝戒寺【こんごうほうかいじ】の不動明王は、空海【くうかい】(774〜835)が中国から伝えたデザインの像です。
杵築市南杵築1539 妙経寺
毘沙門天は、もとはインドの神で、仏教では北を守る存在。多聞天【たもんてん】ともいいます。 東西南北を守る四天王のひとりですが、日本では毘沙門天単独で信仰をあつめてきました。
杵築市山香町大字内河野
毘沙門天は、もとはインドの神で、仏教では北を守るといわれています。多聞天【たもんてん】ともいいます。像の内側にある銘文【めいぶん】から、この仏が伝わる所と関わりがないお坊さんが願って、つくったことがわかります。
国東市安岐町糸永1339 瑠璃光寺
阿弥陀如来は、はるか西のかなたにある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。瑠璃光寺【るりこうじ】の像は、右手を体の前にかかげ、左手を下におろしています。この手のかたちは、「大丈夫、心配ない」という意味です。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
江戸時代の殿さまがオーダーしてつくったものです。 江戸時代の別府一帯の温泉や風景、ならわしなどを伝える貴重なビジュアルデータです。
宇佐市大字川部・高森
宇佐平野を流れる駅館川【やっかんがわ】の東側の台地上にあり、前方後円墳【ぜんぽうこうえんふん】6基を中心とした古墳群です。赤塚古墳は、九州で最も古い時期に築かれた前方後円墳と考えられています。
杵築市奈多229 八幡奈多宮
インパクトのあるお面です。 デザインのもとは、はっきりとしません。「陣道」は「鎮道」【ちんどう】の発音が変化したものとみられ、道をきよめて、鎮めるの意味があるといいます。
国東市国東町横手8378 神宮寺
来迎【らいごう】は、命が終わろうとしている人のもとに仏が迎えに来ることです。来迎図は、それを絵にしたもので、阿弥陀如来【あみだにょらい】の来迎図が多くあります。この絵は、十一面観音の来迎を絵にしたもので、あまり例がありません。
宇佐市大字北宇佐
ヒノキの皮を用いて屋根を葺【ふ】く、桧皮葺【ひわだぶき】の技術とヒノキの皮を屋根材として整形する技術です。大分県内では、宇佐神宮本殿(国宝)の屋根などで桧皮葺の屋根を見ることができます。
日田市中城町・豆田町・港町
江戸時代後半に活躍した教育者である、廣瀬淡窓(1782〜1856)の家とお墓です。淡窓は、日田の商家【しょうか】に生まれました。学問の道にすすみ、咸宜園【かんぎえん】を開き、たくさんの人々に学問を教えました。現在、淡窓の生家は資料館になっており、廣瀬家の歴史を学ぶことができます。
日田市大字日高
7基の円墳【えんぷん】からなる古墳群です。このうち、3号墳は、石室に壁画がのこり、装飾古墳【そうしょくこふん】として貴重です。4号墳からは、鏡、鉄剣、馬具【ばぐ】などの遺物がみつかっています。
別府市大字鉄輪及び鶴見の各一部
別府市にある、温泉文化の重要文化的景観です。湯治の文化を伝える鉄輪【かんなわ】地区と、湯の花小屋が立ち並ぶ明礬【みょうばん】地区という二つの地区が選定されています。別府のシンボル湯けむりと、多彩な温泉文化が特徴的な景観です。
豊後高田市田染小崎及び田染真中の一部
豊後高田市田染にある重要文化的景観です。田んぼの形や土地の利用のしかたなどが、14世紀ごろから変わっていないことがわかっています。宇佐神宮の荘園だった頃の姿を今に伝える「生きた遺跡」といえる景観です。
東国東郡姫島村の全域及び接する海域の一部
姫島の島全体と周辺の海がまるごと重要文化的景観に選定されています。火山からできた島と周りの海の資源を生かし、漁業、塩業、車えび養殖など様々な生業【せいぎょう】を営む海村のくらしの景観です。
日田市源栄町
日田市にある重要文化的景観です。小鹿田焼の伝統を伝える皿山地区と、谷地での生業を伝える池ノ鶴地区という二つの地区があります。水・土・木を活かした独特な生業を今も受け継いでいる景観です。
杵築市大字狩宿
小熊山古墳は大型の前方後円墳で、九州でも最古級のハニワが見つかっています。 御塔山古墳は大きな円墳で、家や船をかたどった、様々な種類のハニワが見つかっています。古墳の立地や出土品から、当時の中心地であった近畿との強いかかわりがうかがえます。
この絵は、放牛光林というお坊さんを描いたものです。放牛光林は元(いまの中国)で修行し、日本に戻ってからは京都の建仁寺【けんにんじ】などの住職をしていました。放牛光林が開いたといわれている龍祥寺【りゅうしょうじ】に伝わっていたものです。
大分市八幡 柞原八幡宮
柞原八幡宮のクスは柞原八幡宮のご神木で樹齢約3000年と伝えられている巨木です。県内で最大のクスです。