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豊後大野市三重町大字赤嶺
豊後大野市にある前方後円墳です。古墳の形は崩れているところがありますが、墳長は36mほどです。出土した円筒埴輪から、5世紀後半ごろに造られたと考えられます。
豊後大野市三重町大字上田原
豊後大野市にある、墳長約65mの前方後円墳です。北側はよく残っており、周溝【しゅうこう】や周溝を渡るための陸橋が残っています。発掘では墳丘から葺石やハニワが見つかっており、それらの特徴から4世紀後半につくられた古墳だと考えられます。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
国東半島に広がる六郷山【ろくごうさん】のお寺の歴史と文化を知る上で、基本となる古文書群【こもんじょぐん】です。耕地の開発やお寺の行事など、国東半島のいのりとくらしの様子を知ることができます。
中津市山国町草本
甌穴【おうけつ】とは川底や川岸の岩が水の浸食【しんしょく】で削り取られてできる円形の穴のことです。長い年月をかけてできた大小無数の甌穴のある岩を沢山みることができます。
大分県中津市、宇佐市、日田市、玖珠町、九重町
中津市を中心に30km以上にひろがる広大な名勝です。火山活動による岩石が削られてできた奇岩や滝、川など多様な地形が特徴です。江戸時代にこの場所を訪れた頼山陽【らいさんよう】が「耶馬渓」と名付けたと言われています。
豊後高田市黒土1475 無動寺
薬師如来像は、大きな像です。薬師如来は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといいます。病を治すなど、現世利益【げんせりやく】、この世で人々をすくってくれる仏として信仰されました。十二神将は薬師如来のガードマンです。十二神将像は、薬師如来より後に制作された像です。
国東市国見町櫛海1532 万福寺
両手先がありませんが、万福寺では薬師如来【やくしにょらい】と伝えられる像です。薬師如来は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといいます。この像は、彫刻に適さない木を使っていますが、その木で彫らなければならないわけがあったとみられます。
無動寺 【むどうじ】では、弥勒仏【みろくぶつ】と伝えられてきた像です。 弥勒菩薩【みろくぼさつ】は、釈迦が亡くなってから56億7千万年後に、如来となり、この世界に現れ、人々をすくうとされました。弥勒菩薩は、如来となることが約束されているので、如来の姿でも表現されました。すると、お寺の言い伝えも、まんざらではないのかもしれません。
宇佐市南宇佐2077 大楽寺
弥勒菩薩【みろくぼさつ】は、お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後に、如来【にょらい】となり、この世界に現れ、人々をすくうとされました。弥勒菩薩は、未来に如来となることが約束されているので、弥勒仏ともよばれ、如来の姿でも表現されました。この像は、そうした弥勒仏の代表的な作です。
無動寺【むどうじ】の本尊です。 明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。なかでも、不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏として、人々に信仰されてきました。
豊後高田市黒土401 応暦寺
明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。なかでも、不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏として、信仰されてきました。応暦寺【おうれきじ】の像は、衣文【えもん】もまり彫られていません。1本の木にまず仏の姿をあらわすことを第一とする考えにもとづいた像といえます。
国東市国見町岐部1806 胎蔵寺
頭から台座まで1本の木でつくられた像です。木への信仰を感じさせる像のひとつです。地蔵菩薩【じぞうぼさつ】は、死後に苦しむ世界にいる人に代わって、苦しみをうけてくれる仏として信仰されました。菩薩のグループにいますが、お坊さんのような姿で表現されます。
大日如来は、密教【みっきょう】という、ひみつの教えで最高の存在とされました。宇宙の真理そのものといわれます。 無動寺【むどうじ】のこの像は、1本の木でつくられた、大きな「丈六」【じょうろく】の大日如来像です。
大日如来は、密教【みっきょう】という、ひみつの教えで最高の存在とされました。宇宙の真理そのものといわれます。 両手を忍者のようにしている、胎蔵寺【たいぞうじ】の像は、いくつもの部材でつくられた寄木造【よせぎづくり】の像です。
日出町2830 蓮華寺
蓮華寺【れんげじ】の本尊です。観音菩薩【かんのんぼさつ】は、33の姿に変身するといわれ、千手観音はそのひとつです。彫刻や絵画であらわす時、たいてい手の数は胸の前であわせている2本と背後の40本のあわせて42本です。これは、1本の手で25の世界をすくい、40本で1000の世界の人々をすくうという考え方によります。
四天王は、仏教では四方を守るガードマン。北は多聞天【たもんてん】、東は持国天【じこくてん】、南は増長天【ぞうちょうてん】。西は広目天【こうもくてん】が守ります。大楽寺【だいらくじ】の像は、平安時代後期につくら、そのデザインは都の雰囲気が強く、京都と宇佐のつながりを伝える像です。
豊後高田市長岩屋1152 鬼会の里
もとは、天念寺【てんねんじ】の北側の岩屋にあった像です。 阿弥陀如来は、はるか西のかなたにある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。この像は、両手を胸の前にかかげて、手のひらをみせています。この手のかたちは今から話をしますよ、という意味です。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
仏教では、2体の菩薩【ぼさつ】を如来の両脇にならべ、3体のトリオにすることがあります。三尊像【さんぞんぞう】とよばれ、如来の脇に立つ菩薩は脇侍【きょうじ】ともいいます。真ん中に阿弥陀如来、向かって右が観音菩薩【かんのんぼさつ】、左が勢至菩薩【せいしぼさつ】です。