ホーム » 検索結果
佐伯市大手町1丁目2番25号 佐伯市歴史資料館
古市石造十三重塔(県指定有形文化財)の周辺から鎌倉時代の蔵骨器【ぞうこつき】が11基見つかっています。そのうち2基が県指定の文化財です。一つは塔の真下にあった四耳壺【しじこ】で、もう一つは古瀬戸【こせと】(現愛知県産)の胴長壺です。
宇佐市法鏡寺
飛鳥時代(白鳳時代【はくほうじだい】)にあった古代寺院で、宇佐神宮【うさじんぐう】と弥勒寺【みろくじ】の近くにあった、重要なお寺でした。 発掘調査などから、金堂【こんどう】は推定で東西約14.6m、南北約11m、講堂【こうどう】は推定で東西約30m、南北約17mの規模であったと考えられています。
豊後大野市千歳町新殿941 平尾社
石でできた小さな鳥居です。柱は全国的にも珍しく、角張った形をしています。柱に刻まれた文から、南北朝時代(室町時代)に作られ、江戸時代を通して、何回も修理されていることがわかります。
豊後高田市加礼川621-2 長安寺
薄い銅の板にお経が書かれたものです。 仏様の教えを未来に伝えるためにつくられたもので、 仏への祈りのタイムカプセルといえるものです。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
大分を代表する古墳の一つで、古墳時代の宇佐を支配していた人の墓と考えられています。 古墳の中の石室と石棺には、銅鏡や石釧などの貴重な品々が供えられており、当時大きな力を持っていたヤマト王権と強いつながりがあったことがうかがえます。
大分市牧緑町1-61 大分県立埋蔵文化財センター
戦国大名の大友氏【おおともし】が、拠点にしていた都市「府内【ふない】」の跡地から、見つかったものです。 キリスト教に関連したものや茶道具【ちゃどうぐ】、海外の食器など、南蛮貿易【なんばんぼうえき】によって、様々なものが大分に集まりました。
この遺跡から、弥生時代の王様と思われる、偉い人のお墓が見つかりました。大分でも、弥生時代の中頃から王様を中心にしたクニができ始めていたことがわかります。
豊後大野市朝地町上尾塚
石幢の「幢」という漢字には、「はた」の意味があります。すると、石幢は石でつくった「はた」ということができ、その「はた」の形が、この石幢の形です。図にあるように、大分県のほとんどの石幢は、笠の下に仏さまを刻んだ龕【がん】があり、この石幢は、石でつくった「はた」という石幢の文字が示す形を伝えるものといえます。
豊後大野市三重町内山527
豊後大野市三重町内山521 蓮城寺
豊後高田市田染平野
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、高さ2.34mで、塔身【とうしん】に刻まれた銘文【めいぶん】から、永和元年(1375)につくられたことがわかります。
豊後大野市千歳町新殿651
豊後大野市千歳町の平尾社にある石の宝塔です。宝塔とは、お経や人骨などを納めた建物のことです。 塔に刻まれた文から宝塔の中に、お経を2部納めていたことがわかります。この宝塔は相輪【そうりん】を失っていますが、高さは2.03mあります。
豊後大野市三重町川辺
川辺ダム入り口にある正明寺跡【しょうみょうじ】に建っている石の宝塔です。 塔に刻まれた文から、逆修のために室町時代の明徳【めいとく】4年(1393年)頃に作られたようです。 塔の屋根(笠)の部分は、室町時代の三重町周辺でよく使われた技法でできています。
国東市武蔵町吉広2556 西光寺
国東半島に分布する国東塔【くにさきとう】のひとつです。 一番下の基礎には18行にわたる文章が、真ん中にある鉢形の塔身には地蔵菩薩【じぞうぼさつ】が刻まれています。この文章から室町時代にこの塔が建てられたことがわかります。
豊後高田市田染平野(近道)
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、地区の墓地にあります。塔身【とうしん】に銘文【めいぶん】があり、応安8年(1375)につくられたことがわかります。墓地の中核となる塔です。
杵築市山香町大字内河野
木造の建物をモデルにした石塔です。高さは3.75mで、一番下の層には仏様も表す文字が刻まれています。 第2重(上から2段目)の南面に刻まれた文章から、室町時代に逆修のために建てられたことがわかります。
臼杵市大字稲田字林西平131番地 臼杵神社
佐伯市大字上岡
現佐伯市周辺の有力者であった佐伯氏【さいきし】によって鎌倉時代につくられたようです。後で付け足された相輪【そうりん】を除くと、高さは7.58mあります。所々に彩色が残っており、一番下の初重【しょじゅう】の四方に仏様が刻まれています。