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日田市淡窓町
江戸時代の日田市豆田町で、広瀬淡窓【ひろせたんそう】が開いた私塾【しじゅく】です。 この塾の卒業生には、明治時代に活躍した有名な医者、学者、軍人、政治家などたくさんいます。
大分市国分
奈良時代に、社会への不安を和らげるために、全国で国分寺が作られました。このお寺もそのうちの一つです。 建物の基礎などがよく残っており、奈良時代にとても大きなお寺があったことがわかります。
臼杵市大字深田字木原929の2番地
宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼【ほうきょういんだらに】というお経を納めた塔で、デザインは中国でのデザインがもとになっています。この塔は、国宝臼杵磨崖仏の近くにある満月寺【まんがつじ】の中にあります。「日吉塔【ひよしとう】」と呼ばれています。お経を納めるために彫られた格納スペースがあります。
杵築市大田石丸1412 杵築市
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、国東塔のひとつで、塔に刻まれた銘文【めいぶん】から、元徳2年(1330)にお経を納めるためにつくられたことがわかります。
国東市安岐町朝来
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。 この塔は、高さ3mあまりの大型の塔です。塔身【とうしん】には、種子【しゅじ】と銘文【めいぶん】が刻まれ、建武2年(1335)につくられたことがわかります。
豊後大野市朝地町上尾塚 普光寺
普光寺【ふこうじ】の北東100m離れた場所にある、高さ20mの崖に不動明王像【ふどうみょうおうぞう】と2体の像が彫られています。 この不動明王像は、高さが11.3mあり、大分県内でもかなり大きな磨崖仏【まがいぶつ】です。全体的にのっぺりとした雰囲気で、珍しい作りをしています。
宇佐市安心院町楢本
上下2段にわかれた岩壁に、45躯の仏様が刻まれています。特に、上段の右側にある大きな不動明王二童子像【ふどうみょうおうにどうしぞう】は、細かくきれいに作られています。 この不動明王像の隣に書かれた文から、室町時代に刻まれたことがわかります。
大分市八幡987 柞原八幡宮
この薙刀は、元々刀だったものを薙刀作り直したものです。豊後国を治めていた大友氏が柞原八幡宮に納めたと伝わっています。制作者については諸説ありますが、よくわかっていません。
杵築市大田沓掛
中世の国東半島の有力者であった田原直平【たわらなおひら】の墓と伝えられ、高さは411cmのとても大きな層塔です。昭和43年に修理したときに見つかった文字から、延元4年(1339)に建てられたことがわかります。
国東市国東町東堅来
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、国東塔のひとつで、高さが3.97mあります。国東塔の中でも、大型のものです。
大分市本神崎
佐賀関半島【さがのせきはんとう】の海岸部にある全長90mあまりの大きな前方後円墳【ぜんぽうこうえんふん】です。 亡くなった人を埋葬【まいそう】する組合式箱形石棺【くみあいしきはこがたせっかん】が2基見つかっており、人骨と鉄製の武器や農工具が見つかっています。ヤマト王権とつながりがあった、豪族の墓と考えられます。
大分市顕徳町・上野丘西・六坊北町
室町時代に豊後国周辺を納めていた大名の大友氏が拠点にしていた都市です。 大友氏の勢力が大きくなるにつれて大きく発展し、キリスト教関連の施設が建てられ、ヨーロッパ・中国・朝鮮・東南アジアから、様々なものが集まりました。
大分市元町
元町の崖に高さ5mのくぼみがあり、その中に3体の仏像が彫られています。 中央にある一番大きな仏様は薬師如来【やくしにょらい】といい、健康を願う人々に信仰されていました。 そのため、元町石仏は別名「岩薬師【いわやくし】」とも呼ばれています。
この刀は、鎌倉時代の有名な刀職人の国宗【くにむね】が制作した刀です。 豊後国を治めていた大友氏が柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に納めたものと伝わっています。
大分市八幡987
豊後国を治めていた大友氏が、柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に納めた太刀といわれています。 刀に「源国?」という文字と刀の作りから、京都の刀職人がつくったものだと考えられます。
豊後高田市夷
堂園板碑【どうぞのいたび】・梅の木板碑【うめのきいたび】の2カ所に分かれています。板碑とは板状の石に梵字【ぼんじ】を刻んだものです。ここでは、大きな二つの石に、線で71基の板碑を描いています。南北朝時代(室町時代)の頃に刻まれたと考えられます。
国見町千灯
高さ70cm、幅160cmの石に彫られた阿弥陀来迎図【あみだらいごうず】です。来迎図とは、死ぬ間際の人を阿弥陀が迎えに来る様子を表した絵です。 仏様の光背【こうはい】を彫りくぼめることで、仏が浮き出でるよう見せています。 鎌倉時代から室町時代に作られたもので、国東半島に浄土教信仰が浸透していたことを示します。
大分市宮苑
丸や三角形の文様、人型の線刻【せんこく】と赤い塗料で装飾された横穴式石室【よこあなしきせきしつ】をもつ古墳です。 古墳の土が一部なくなってしまっているため、元々の大きさはわかりませんが、石室の構造から古墳時代の終わり頃につくられた豪華な古墳であったことがわかります。