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玖珠郡玖珠町大字小田
この古墳は、玖珠川の左岸の丘の上にある装飾古墳【そうしょくこふん】です。現在の墳丘は、元の形をほとんど失っていますが、もともとは円形をした古墳(円墳【えんぷん】)でした。
国東市安岐町塩屋
墳丘は径20m×25mで高さ4mのほぼ楕円形をした古墳です。鉄刀や短甲【たんこう】などが発見されていて、墳丘には筒型【つつがた】の埴輪【はにわ】が置いてあったといいます。
豊後大野市緒方町原尻
豊後高田市、国東市
「くにさき」の寺には鬼がいて、人々に幸せを届けてくれます。「くにさき」では、鬼に憧れる僧侶達によって「仏(不動明王)」と重ねられていきました。「くにさき」の岩峰につくられた寺院や岩屋を巡れば、様々な表情の鬼面や優しい不動明王と出会え、「くにさき」の鬼に祈る文化を体感できます。
臼杵市稲田
この古墳は5世紀中頃につくられたとみられる、全長87mの前方後円墳です。後円部の一部が、社殿が建てられるときに削られてますが、比較的よく形が残っています。また東九州では珍しい短甲【たんこう】を着た姿の埴輪【はにわ】が出土しています。
日田市、玖珠町
川が溶岩台地【ようがんだいち】を浸食した奇岩の渓谷や滝などからなる耶馬渓【やばけい】で、1000年以上の昔から、人々は岩から仏などの優れた作品を生み出し、回遊路でつないでいき、大正時代ついに一本の絵巻物のようにまとめあげました。
国東市
華やかな、人目をひき、衣裳や持ちものに趣向をこらして、歌や笛などに合わせて踊る民俗芸能を総称して「風流」といいます。盆踊や小歌踊、太鼓踊など、それぞれの地域の歴史と風土を反映し、今日まで続いており、国東市の吉弘楽【よしひろがく】などがあります。
日田市
日本では、明治時代以前から、様々な階層を対象とした学校が普及し、武士だけでなく、庶民(農民や町人)も読み書き・算術などを身に付け、高い教育水準を示していました。これらは、現代においても、教育や礼節を大切にする日本人の国民性として受け継がれています。構成する文化財は日田市ほか3県にあります。
佐伯市
地域社会の安泰や災厄からの防除を願って、 地域の人々が一体となり行う「山・鉾・屋台」の巡行を中心とした祭礼行事です。全国の33件の山・鉾・屋台行事で構成され、日田市の日田祗園の曳山行事【ひたぎおんのひきやまぎょうじ】などがあります。
中津市山国町
鷹巣山は、大分県と福岡県の境にあります。頂上部が塔のように周囲からそそり立つような形をしています。このような地形は、硬い溶岩等で形成された地層部分が浸食によって残ったもので、ビュートといいます。
臼杵市野津町王子
黄金色の竹で、モウソウチクが突然変異したものです。竹は、木で幹に当たる部分を稈【かん】とよびますが、稈が黄金色で緑色の筋があります。
大分市大字松岡5743番地 長興寺
宇佐市木内236 妙楽寺
宇佐市妙楽寺に伝わる6体の木造仏が指定を受けています。本尊の阿弥陀如来坐像は12世紀後半につくられたものと考えられます。
大分県玖珠郡玖珠町大字森868 豊後森藩資料館
江戸時代後期に、森藩(いまの玖珠町周辺にあった藩)の家臣だった柴田寿山が、藩の記録を抜粋して書き写したものです。原本の記録は失われてしまいましたが、この記録があるおかげで、江戸時代の森藩の出来事などがよくわかります。
国東市武蔵町麻田643 報恩寺
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。この鰐口は、不特定多数の人々によって、応永5年(1398)に法恩寺の観音堂に寄進されています。県内に現存する鰐口では最古の年代が書いていること、また当時から報恩寺が広く人々の信仰をあつめたことを示しており、貴重です。
中津市大新田
国東市国東町大恩寺2431 文殊仙寺
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。この鰐口は直径約31㎝ととても大きいものです。銘文から、大友氏15代の親繁らによって、康正2年(1456)に姫島庄観音寺に奉納されたことが分かります。