ホーム » 検索結果
国東市国見町大字櫛来3395 永明寺
髪の毛を結いあげ、左手には蓮の花を持っています。このような姿は、観音菩薩の特徴です。観音菩薩をはじめ、菩薩像は冠【かんむり】や首飾りをつけていることが多く、この像も冠や首飾りなどがあったのでしょう。
国東市武蔵町大字麻田643 報恩寺
さとりを開いた如来【にょらい】の両脇に、将来如来となる菩薩【ぼさつ】が並んだ3体のトリオを三尊像といいます。阿弥陀如来の両脇には、観音菩薩【ふげんぼさつ】と勢至菩薩【せいしぼさつ】がならびます。
杵築市八坂1669 生桑寺
14世紀前半に書写された大般若経です。これを修理した時、裏からの補強(裏打ち)のために古文書を使いました。それらは鎌倉時代から室町時代の古文書で、当時の政治や社会を知ることができるため、お経と古文書がともに文化財として指定されています。
九重町大字後野上17番地の4 九重町歴史資料館
九重町の釘野千軒遺跡【くぎのせんげんいせき】から見つかった、平安時代の鏡です。鏡の裏に草花やおしどりの文様が形作られています。このような鏡が個人のお墓から見つかる事例は珍しく、貴重な発見例となりました。
大分市寿町2番1号 大分県立美術館
今から400年ほど前、江戸時代に描かれた作品です。季節ごとに娯楽を楽しむ庶民のすがたが描かれています。曲芸・狂言・相撲など、昔の人々の楽しみが詰まった作品です。
佐伯市宇目大字塩見園
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のジンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。大師庵宝塔は2基あり、並んで立っています。2つはほとんど同じ形で、高さは約2mあります。
豊後大野市三重町内田95
宝篋印塔とは、宝篋印塔陀羅尼(ほうきょいんとうだらに)というお経を納めた塔で、中国の塔の影響から全体的に段が多いデザインとなっています。浄運寺宝篋印塔は浄運寺の裏庭に置かれ、高さは2mあります。基礎4面には墨や朱が残っています。
豊後大野市三重町小坂
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。先端の宝珠【ほうじゅ】の一部は壊れていますが、全体に残りのよい石幢です。
豊後大野市犬飼町黒松
宝塔は、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のジンボルである相輪【そうりん】があります。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。新飼宝塔は2つあり、1つは高さは約2m、もう1つは約1.7mです。
別府市東山1 御嶽権現社
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のジンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この塔は、凝灰岩【ぎょうがいがん】でつくられ、屋根や蓮華【れんげ】の表現が細かく、装飾性が豊かな塔です。
豊後大野市大野町中土師
五輪塔とは、5つのパーツにわかれる塔です。それぞれのパーツは、四角形・丸・三角形など、いろいろな形をしています。表五輪塔は、山の中に4基並立している五輪塔です。4基のうち2基は完形で、同じ年月日が彫られています。
杵築市大田沓掛
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。花月園国東塔の高さは約2.5mで、石材には角閃安山岩が使われています。銘はありませんが、南北朝時代末期から室町時代初期にかけてつくられたと考えられます。
中津市本耶馬渓町跡田
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。この塔は溶結凝灰岩でつくられていて、高さが約2mあります。山の上の巨大な岩の上に立っていることが大きな特徴です。
豊後大野市緒方町上自在
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんを三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。三反畑板碑は、総高約3mの大きな板碑です。釈迦の種子【しゅじ】が刻まれているものは、この板碑以外に県内では他に例がなく、珍しいものです。
竹田市会々2540
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢には長文の銘文【めいぶん】があり、いつだれがつくったかがよくわかる石幢です。
豊後大野市清川町六種
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のシンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この宝塔は、高さが約2mあり、銘文を多く残しています。銘文【めいぶん】にある嘉暦年間 (1326 ~ 28)の年号を裏付けるように、鎌倉時代の特徴が多く見られます。
国東市国見町中 個人
この五輪塔は、さまざまな種類の石造物が建つ妙吉寺旧墓地にあります。一つの石でつくった五輪塔で、このような五輪塔を一石五輪塔【いっせきごりんとう】といいます。
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のシンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この宝塔は、高さが約2mあります。銘文【めいぶん】があり、嘉暦年間 (1326 ~ 28)につくられました。