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宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
この絵は、いまは屏風になっていますが、もともと宇佐神宮の放生会【ほうじょうえ】というお祭りに使う神輿の障子絵だったものです。法華経【ほけきょう】を題材にした絵が描かれています。
日田市大字石井
ガランドヤ1号墳と2号墳があり、2基とも石室の内部に文様が描かれている、装飾古墳とよばれる古墳です。赤と緑を使った〇や△の文様が特徴で、筑後川の近くにはこのような特徴を持つ古墳が多くあります。大分を代表する装飾古墳です。
中津市大字伊藤田
豊後大野市緒方町小宛
石風呂は、医療目的で、石を焼いて出た蒸気や熱気を浴びる施設です。尾崎の石風呂は、上下2室にわかれている珍しい形態で、上の石室で熱気浴をしていたと考えられています。
杵築市山香町山浦
石風呂は、医療目的で、石を焼いて出た蒸気や熱気を浴びる施設です。山香の石風呂は、上下2室にわかれている珍しい形態で、上の石室で熱気浴をしていたと考えられています。
佐伯市蒲江大字竹野浦河内 佐伯市蒲江海の資料館
旧蒲江町(佐伯市蒲江)では、地引網【じびきあみ】や磯浜【いそはま】でのテングサ採りなどが行われました。それらに用いられた伝統的な船や網などの漁業用具のほかに、着物、信仰に使われた道具などがあります。
日田市源栄町皿山
江戸時代に開かれたと伝えられ、皿や壷などが伝統的な技法で作られています。飛び鉋文【とびがんなもん】や刷毛目文【はけめもん】が特徴的です。
宇佐市院内町大門290-2 龍岩寺
かつて、仏さまを安置するところと人々が礼拝するところの建物が異なる場合、仏像を安置する建物を正堂【しょうどう】、礼拝する建物を礼堂【らいどう】といいました。龍岩寺奥院の礼堂は、そうした昔のお堂の様子を伝える建物です。
日田市城町2丁目618 永興寺仏像収蔵庫
まっすぐにたち、思わず「おおっ」となる独特の姿。 ささているのは地天女【ちてんにょ】。 平安京の羅城門【らじょうもん】に安置された姿の毘沙門天です。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
国宝・富貴寺大堂【ふきじおおどう】の阿弥陀如来。 何ともおだやかな姿。阿弥陀如来は、はるか西の極楽浄土【ごくらくじょうど】に住んでいるといいます。富貴寺大堂は、その極楽浄土を再現するために建てられ、阿弥陀如来をとりまく、お堂の壁には極楽の様子などが描かれています。
豊後高田市田染真木1796 真木大堂
真木大堂は、近くにあったお寺にまつられていた仏像が大集合しています。 阿弥陀如来は、はるか西にある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。平安時代後半、阿弥陀如来はどんな人でも極楽浄土へ往生させてくれる、という信仰がさかんになりました。この像も、そうした信仰の中で制作されたと考えられます。
大分県にある国宝4つのうちのひとつ。 建物内部には壁画があり、極楽浄土を再現したお堂で、九州で最も古い木造建造物です。
臼杵市大字深田・大字中尾
大分県にある国宝4つのうちのひとつ。 阿蘇山の火砕流が生み出した丘陵に刻まれた仏で、「大地の歴史とヒトのいとなみ」が生み出した結晶といえます。
杵築市山香町大字小武1592-1 小武寺
龍が剣をのみこもうとしています。かっこいい像です。 龍は、不動明王【ふどうみょうおう】が姿を変えたものといわれています。絵画の作品はありますが、彫刻はあまり例がありません。
大分市
柞原八幡宮は、豊後国【ぶんごのくに】の一宮【いちのみや】として、国の役所(国衙【こくが】)や守護【しゅご】の大友氏から敬われました。これらの古文書【こもんじょ】は、豊後国の歴史を知る上で大切な「歴史の証人」です。
写真では、いちばん手前(向かって右)の像です。この像は、たとえば螺髪【らほつ】や衣文【えもん】などが表現されず、ただただ仏の姿だけを刻んだ像です。薬師如来【やくしにょらい】は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといわれます。病気を治すなど、この世の中で私たちを救ってくれる仏として信仰されました。
写真では、いちばん奥(向かって左)の像です。一木造【いちぼくづくり】の巨大な像です。明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在。怖い表情をしていますが、なかでも不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏といわれます。
写真では、真ん中の像です。たとえば螺髪【らほつ】や衣文【えもん】などが表現されず、ただただ仏の姿だけを刻んだ像です。阿弥陀如来は、はるか西の極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。平安時代の後半、阿弥陀如来をおがむことで、命終わった後も、極楽に生まれ変わるという信仰が盛んになりました。