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国東市国見町野田
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、高さ2.22mありますが、幅は30㎝ほどで、細長い姿の板碑です。
日田市上津江町上野田
笠塔婆【かさとうば】とよばれる角柱状や板状の石柱に屋根(笠)や宝珠をのせた石造りの塔です。生前にあらかじめ自分の死後の冥福を祈るためなどに建てられました。彫られた文字から室町時代(元亀元年(1570))に作られたとされます。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
平安時代の終わりから鎌倉時代の初めに活躍した豊後(大分県)の刀工(職人)「行平」の名前が記された太刀(たち)です。
豊後高田市加礼川623-3 長安寺
長安寺にある国東塔【くにさきとう】で、高さは3.46mです。鎌倉時代の終わりから室町時代初めごろに造られたと考えられています。
竹田市荻町馬場字岩戸、竹田市荻町柏原字岩戸口
荻町(現竹田市荻町)から竹田市に通じる旧道で、岩戸川にかけられた石造のアーチ橋です。江戸時代に作られた時の記録も残っており、貴重な資料です。
由布市挾間町篠原204 慈航寺
慈航寺裏の墓地にあります。高さは1.97mで、相輪が一部欠損しています。現在の慈航寺は臨済宗ですが、寺伝では古くは天台宗であったと伝わります。この宝塔の存在と銘文の内容は、その寺伝を裏付ける証拠といえます。
竹田市神原 個人
高さ2.5mの重制石幢です。平面は方形で、笠の一部が破損しています。銘文から、この地域に定住した大神氏と関連したものと考えられます。永正17年(1520年)の紀年名もあります。
大分市本館崎
築山古墳から出土した銅鏡や南海産の貝の腕輪【うでわ】、鉄の矢じりなどの武器、鉄の鎌や銛【もり】などの農工具です。貝の腕輪は女性の人骨にはめられた状態で発見されました。
国東市国見町野田 個人
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この国東塔は高さは1.68mで、相輪が一部欠損しています。塔身には多数の銘文が刻まれており、その中に「正平七<?>(1352)二月廿九日云々」と記されています。
豊後大野市三重町本城 個人
大字本城上久保の台地、不二庵跡にあります。一部欠損していますが、高さは1.6mあり塔身に種子が刻まれています。銘文から、暦応【りゃくおう】3年(1340年)2月彼岸中日に、良円が現世と来世の安楽を願って造立したようです。
豊後大野市三重町赤嶺 個人
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。県指定史跡「道ノ上古墳」の後円部【こうえんぶ】の頂上にあります。
国東市国東町見地 個人
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、文殊菩薩【もんじゅぼさつ】の種子【しゅじ】の「マン」や正中2年(1325)の年号なども刻まれています。
国東市国東町深江
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、上部に阿弥陀如来【あみだにょらい】を示す種子【しゅじ】の「キリーク」を刻んでいて、阿弥陀如来への信仰を示す石造物のひとつです。
由布市挾間町挾間
県指定史跡「挾間氏五輪塔群」の内の3基の五輪塔です。1基は康永2年(1343)銘がある一方で、残りの2基にはありませんが種子【しゅじ】が薬研彫り【やげんぼり】で刻まれています。いずれも、挾間氏の墓と伝わります。
別府市大字別府字野口原3030番地16 別府市美術館
別府市美術館の敷地内にある笠塔婆です。高さは1.8mで、上部に釈迦を示す種子【しゅじ】の「バク」、弥陀【みだ】を示す「キリーク」を平底彫りし、その下の中央に文永6年(1269)の年号と、造立者【ぞうりゅうしゃ】として「広増」という僧侶の名前が入った銘文【めいぶん】が刻まれています。
由布市庄内町長野
永松氏宅南側の古い墓地にある、高さは1.65mの重制石幢【じゅうせいせきどう】です。銘文【めいぶん】には、何者かの死を示す記述と文明18年(1486)の年号が刻まれているため、この時期に建立されたようですが、造立年か没年かは不明です。少なくとも追善供養【ついぜんくよう】のために建立されたようです。
宇佐市安心院町町山蔵484 大年神社
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。大年社には2基の板碑があり、銘文【めいぶん】等から、1つは人々が集まり、みんなでつくった板碑であることがわかります。
豊後高田市田染蕗2395番地 富貴寺
富貴寺参道登り口の左手に立っています。高さ1.34mで、碑身の上部に胎蔵界大日を示す種子【主事】である「アーク」が大きく薬研彫りされています。この板碑は、1361年頃に祐禅という僧侶の7回忌に造立したことが銘文【めいぶん】として記されています。