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由布市挾間町鬼崎
無縫塔とは、お寺の僧侶のお墓としてたてられるお墓です。上部の丸い部分を塔身と言います。この無縫塔は大字鬼崎田野小野の地福庵跡墓地にあるもので、竿【さお】を持つ無縫塔です。高さは80㎝ほどあります。
宇佐市大字木内
妙楽寺は求菩提山【くぼてさん】中輿の祖とされる頼厳上人【らいげんしょうにん】ゆかり地と伝えられるお寺です。発掘調査では1号~3号の経塚が見つかっていますが、後の時代の工事によって失われたものを含めると、合計で6基の経塚があったとみられます。
竹田市会々
西光寺はもともと中川氏の播磨国(現在の兵庫県南西部)三木城下にあったお寺で、岡藩の移封(他国へ移すこと)により、文禄4年(1595)竹田に移動しました。境内には江戸時代の建物が多く残っていて、最も古い鐘楼【しょうろう】は元禄4年(1691)に建てられています。
臼杵市二王座
月桂寺は臼杵藩5万石の藩主稲葉家歴代の菩提寺です。慶長13年(1608)に2代藩主稲葉典通により建てられました。月桂寺にみるような寺院や墓所のあり方は、参勤交代制のもとでも国元における菩提寺のあり方をよく示している点が貴重と評価されています。
宇佐市山本
切寄瓦窯跡は、当時の都が置かれていた畿内の技術が宇佐に導入されていたことを示す重要な遺跡です。特に畿内を含めて、法隆寺系古瓦の窯跡の発見は珍しいものです。
杵築市狩宿
大きな円墳で、家や船をかたどった、様々な種類のはにわが見つかっています。海に面した立地や出土品から、当時の中心地であった近畿との強いかかわりがうかがえます。
由布市湯布院町川上
世界でも大分県にのみに生息分布が確認されていて、貝類の中で唯一、淡水温泉中に生息することが確認されている淡水性巻貝です。成体となっても殻長が4.0~4.2㎜、直径が2.0~2.5㎜と、とても小さいです。
宇佐市上田
県内で最も大きい集団墓です。東西方向に列状に並ぶ各種270基と、それを囲むように配置された約40基の祭祀土坑【さいしどこう】から構成されます。装飾的な祭祀用の土器などに特徴があります。
弥生時代の拠点となる集落【しゅうらく】の東上田遺跡の周辺部にある集団の墓です。石で蓋【ふた】をした墓や土器を使用した子ども用の墓などが約80基見つかっています。大小の土製勾玉12個を入れられた墓も確認されています。
宇佐市法鏡寺
発掘調査では、弥生時代後期の方形住居跡10軒を確認しています。また、土器片に混じって中国製の鏡の破片も出上しており、族長クラスの人の建物であることが考えられます。現在、住居跡は史跡公園として整備されています。
国東市国東町岩戸寺
国東半島に広がる天台宗の寺院群を六郷山【ろくごうさん】といいます。岩戸寺は、六郷山の3つのグループのひとつ末山【すえやま】に属しました。岩戸寺は、記録では建武4年(1337)にはじめて確認されますが、講堂の前には、弘安6年(1283)の年号がある国東半島で最も古い国東塔があります。また、岩戸寺では隔年で講堂を中心に修正鬼会が開かれます。
日田市天瀬町女子畑
川原隧道【かわばるずいどう】は西国郡代塩谷大四郎の命によって始められた工事で作られ、長さは約90mです。隧道に通じる道路は石畳道となっています。入口の石柱には、嘉永7年(1854)に日田郡豆田町の豪商広瀬久兵衛が石畳を寄付したことや、工事を石工の助二郎がしたことが記されています。
竹田市荻町南河内
この洞穴は、大野川流域で最も古いとされる縄文時代の洞窟遺跡です。発掘調査ではたくさんの遺物ともに、埋葬された人の骨が出土しています。
駅館川右岸の台地上にある1辺が20mの四角形をした古墳(方形墳)です。墳丘の中には箱式石棺【はこしきせっかん】があります。副葬品【ふくそうひん】などの出土遺物は確認されていません。
宇佐市下敷田
この遺跡からは、石蓋土壙墓【せきがいどこうぼ】と土壙墓【どこうぼ】が約50基出土しています。古墳が出現する時期の、共同墓地のあり方を知るうえで重要な遺跡です。
国東市国見町千灯・上岐部
千燈寺は、国東六郷山の中山本寺の1つで、旧境内地が指定されています。参道には見事な石垣や、本堂跡の前には仁王像が残っています。その奥には、講堂の跡や奥の院、五輪塔群があります。
宇佐市山下・上元重
横山谷の西側丘陵の東側の斜面には、多くの横穴墓が造られている。この横穴墓群の正確な数は分かりませんが、横穴墓の数は100基以上あります。
宇佐市長洲
この古墳は、一番長い部分の長さが140mの前方後円墳で、現在は直径90 m程の円墳状の高まりが残っています。円墳の頂部には高倉神社の社殿があります。