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竹田市大字竹田寺町 願成院
願成院【がんじょういん】本堂は竹田市に現存する最も古い建物です。江戸時代のはじめに、岡藩二代藩主中川久盛【ひさもり】により建立されました。江戸時代はじめの建築として貴重なものです。
臼杵市福良134
九州でも数少ない江戸時代に作られた木造の三重の塔です。設計は、地元臼杵の名工と伝わる高橋団内が行い、弟子の坂本荘右衛門が監督して、建物を完成させました。
豊後大野市千歳町新殿
五輪塔は、5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。大乗寺境内に並んだ2基の五輪塔のうち、向かって左側は、銘文【めいぶん】から貞和3年(1347)、右側は延文5年(1360)頃につくられたものです。
臼杵市大字深田字古園1936番の2 日吉神社
臼杵磨崖仏【うすきまがいぶつ】の、山王山石仏【さんのうさんせきぶつ】がある上の台地に鎮座する日吉神社境内に立っている一石五輪塔【いっせきごりんとう】です。高さは1.05mで銘文【めいぶん】や梵字【ぼんじ】は刻まれていませんが、作風から平安時代末に作られたようです。
豊後高田市臼野 個人
長さ81.6cmで、表に「平鎮教【たいらしずのり】」と銘文があります。この刀工は古刀末期(室町時代末)の永禄【えいろく】年間(1558〜1570)に活躍した平高田一派の優秀な刀工です。
大分市森
長さ68.4cmあり、表に「豊洲高田住藤原行長」裏に「慶長五年2月?日」という銘文があります。この「藤原行長」は「紀行平」という名工の末裔と伝わる刀工です。
国東市国東町岩戸寺1222 岩戸寺
岩戸寺の境内にある高さ2.53mの石幢です。塔身(龕【がん】部)に六地蔵、阿弥陀三尊像【あみださんそんぞう】、閻魔王【えんまおう】が刻まれ、幢身(柱)には僧の豪_【ひでたか】の菩提【ぼだい】と逆修【ぎゃくしゅ】のために文明10年(1478)に造立されたと記されています。
豊後大野市清川村宇田枝
宝生寺【ほうしょうじ】にいたる道の途中にあります。高さ270cmの重制石幢です。竿のしたの銘文【めいぶん】から、永正13年(1516)に法華経千部の読誦供養【どくしょうくよう】のために六地蔵を建立し、現世安穏後生善処【ぜんせあんのんごしょうぜんしょ】を願ったものであることがわかります。
豊後大野市朝地町池田
豊後大野市大野町との境の山中にある墓地に立っている石幢です。一部破損していますが、龕【がん】部の銘文から、一万田氏にゆかりのある塔であることがわかります。
豊後高田市蕗 富貴寺
富貴寺大堂の前に1基、向かって左側に4基の笠塔婆が並んでいます。銘文によると、広増というお坊さんが極楽往生【ごくらくおうじょう】を願って、仁治2年(1241)から文永5年(1268)の間に建てたものです。
日田市大字友田2893−44 日田市埋蔵文化財センター
国指定史跡ガランドヤ古墳で、昭和59・60年度に実施された発掘調査の際に出土した遺物です。2基の古墳から須恵器・馬具・鏡・装身具など921点もの副葬品が見つかっています。特に、2号墳出土の鉄剣の鍔には銀象眼【ぎんぞうがん】が施されており、県内では2例目の発見です。
日田盆地北部にある朝日宮ノ原遺跡では、弥生時代と中世の集落跡と墓が見つかっています。このうち、中世4号土坑墓【どこうぼ】には、湖州鏡【こしゅうきょう】・和鋏【わばさみ】・小型容器など、非常に珍しいものが副葬されていました。
国東市国東町安国寺1639−2 国東市歴史体験学習館
平成6年の一ノ瀬1・2号墳発掘調査で出土しました。鳥船付き装飾器台(鳥と船を模した装飾をした須恵器)が1点と、子持ち器台(複数の器が取り付けられた須恵器)が3点あり、いずれも2号墳の周溝に埋まっていました。鳥船付き器台は、死者を導き運ぶ様子を表したものと考えられています。
大分市牧緑町1-61 大分県立埋蔵文化財センター
巴形銅器とは、半球体から卍字状に突起が広がっている青銅器で、弥生時代〜古墳時代の遺跡から出土しています。この巴形銅器は雄城台遺跡【おぎのだいいせき】(現雄城台高校)から出土しました。
竹田市直入町大字長湯にある、古墳時代の横穴墓から出土した遺物です。内容は、鹿角【ろっかく】製刀剣装具付き鉄刀、夜光貝【やこうがい】製品、石枕など、非常に珍しいものばかりで、被葬者が広い地域と交流があった地域の有力者であったことがうかがえます。
妙楽寺境内の工事中に経筒が見つかり、発掘調査が実施されたことで、湖州鏡【こしゅうきょう】や長胴壺、複数の経筒が出土しました。このお寺で入滅【にゅうめつ】(位の高い僧侶が亡くなること)したと伝わる、頼厳【らいげん】という高名な僧侶との関わりを示す重要な資料です。
大分市里646−1 海部古墳資料館
王ノ瀬石棺は、王ノ瀬天満社で保管されていた古墳時代の棺です。元々は辻古墳の中にありましたが、明治時代に同古墳に作られた神社が王ノ瀬天満社に移転した際に、持ち込まれたそうです。凝灰岩をくりぬいて作られており、「家形石棺」と呼ばれる形をしています。
大分市大字国分960番地1 大分市歴史資料館
大分市内にある猪野遺跡から、埋納された状態で出土しました。全長は、79.9cmで刃の中央部が広い形状の「中広形銅矛」とよばれるものです。大分県内に銅矛は60本近くありますが、この銅矛は発掘調査で出土した初めての資料です。