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宇佐市院内町御沓
宇佐市院内町の恵良川【えらがわ】流域は、石橋が集中するエリアです。この橋は、恵良川にかかる石橋では最も長い石橋です。
国東市国東町岩戸寺1222 岩戸寺
国東市にある岩戸寺の入り口に立つ石像です。たくましい体つきに、顔は怒りをあらわしています。台座も含め一つの石から彫りだされています。
日田市北友田1丁目1317 岳林寺
日田市岳林寺をひらいた明極楚俊という僧侶の像です。ヒノキの木でつくられていますが、目は水晶でできているので輝きがあり、とても写実的な像になっています。
涅槃図とは、釈迦【しゃか】の死の様子を描いたものです。横たわる釈迦のまわりでは釈迦の弟子や動物が悲しみに暮れ、天からは釈迦の母親が駆けつけています。
宇佐市大字山本
大分県内で年号が分かるものとして最も古い石橋です。一見、シンプルな構造の石橋ですが、川を渡る部分の橋げたを、両岸から3本の石材で斜めに支えているのが分かります。もとは、宇佐市内から院内町や安心院町へ行く道路の橋でした。
国東市国東町原2833-1
本殿は、江戸時代に建てられた建物を明治時代に移築した建物です。本殿をおおう覆屋【おおいや】も江戸時代に建てられた建物です。
大分市佐賀関
早吸日女神社の神職家の住宅です。江戸時代の建物で、神職家の住宅としての特色をよく残しています。
大分市佐賀関3329
早吸日女神社【はやすひめじんじゃ】の総門は、8本の柱で立つ瓦葺き【かわらぶき】の大規模な門です。江戸時代に建てられていて、建築当時の姿をよく残しています。
早吸日女神社は佐賀関地区のシンボルとして親しまれている神社です。本殿は、安土桃山時代に火災にあいましたが、棟札【むなふだ】に記された年号から、江戸時代に再建されたと考えられています。
大分市本神崎864
浄土真宗の寺院で、本堂や山門など江戸時代に建てられた主要な建物が現在も残されています。最も古い建物は、庫裏付玄関【くりつきげんかん】で、江戸時代(18世紀前半)の建物です。
玖珠郡玖珠町森864番地
江戸時代に森藩の藩主が、三島宮の整備の一環として建てた2階建ての「御茶屋」です。東から南側にかけて城下を一望できる開放的な造りが特徴です。
末廣神社の本殿と覆屋【おおいや】は、江戸時代に森藩の主導のもとで建てられました。まず、先に覆屋をつくり、その後が本殿が完成したといいます。
豊後高田市是永町
一連アーチの橋です。アーチの外側には化粧仕上げした輪石をして、神橋にふさわしい丁寧な仕上げをしています。柱には、江戸時代の年号が記されています。
杵築市杵築1162 八坂神社
木造の社殿と同様につくられた本格的な石造の社殿で、珍しい資料です。社殿の背面には、江戸時代の年号や作った人物の名前が記されています。
佐伯市大手町1丁目1番1号
佐伯藩主毛利家の居城であった佐伯城三ノ丸入口につくられた櫓門【やぐらもん】で、江戸時代のはじめに建てられた後、2回再建されています。大分県内で現存する城の建物は少ないことから、たいへん貴重な城門です。
豊後大野市犬飼町柴北
大聖寺の境内にある、高さ2.63mの宝篋印塔です。お寺では開山塔と呼ばれており、万寿寺(大分市)を開いた僧侶の弟子の名前が刻まれています。この時期に大野川流域で活躍した玄正【げんしょう】という石工【いしく】が作ったようです。
臼杵市野津町東谷
石幢は神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、屋根は四角形や六角形、円形のものと、さまざまなデザインがあります。この石幢は、大野川流域に多くある、丸い笠の石幢のひとつです。他の部分も円形や八角形で、全体に丸いプロポーションの石造物です。
別府市野田
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。この五輪塔群は、県史跡の「竈門氏墓地古塔群」【かまどしぼちことうぐん】にあります。別に示した図面は、この五輪塔群のひとつを図にしたものです。