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日田市城町2丁目618 永興寺仏像収蔵庫
永興寺【ようごうじ】には、いくつもの毘沙門天がまつられています 仏教では、北を守るといわれる毘沙門天。日田には大蔵氏という豪族がおり、毘沙門天の中には、大蔵永季【おおくらながすえ】をモデルにしたという像もあります。すると、お寺の南に大蔵氏の拠点があったことをうかがわせてくれます。
毘沙門天は、仏教では北方を守る存在。 東西南北を守る四天王のひとりですが、日本では毘沙門天単独で信仰をあつめてきました。
豊後高田市田染真木1796 真木大堂
真木大堂は、近くにあったお寺にまつられていた仏像が大集合しています。 大威徳明王は、すごい迫力の像です。顔が3つ、手と足が各々6本、頭の上にも顔が3つみえます。手にはいろいろな武器を持っています。全体の高さはおよそ2.5m。この大きさの大威徳明王像は、全国でもめったにありません。
豊後高田市加礼川621-2 長安寺
不思議な姿の像です。子どものような姿をしていますが、像の内側にある銘文【めいぶん】から、不動明王【ふどうみょうおう】の化身であること、宇佐八幡宮の神職【しんしょく】が制作に関わったことなどがわかります。この像は、まさに神仏習合【しんぶつしゅうごう】が生み出した独特の像です。
日田市城町2丁目618 観音堂安置
すっとした姿の観音菩薩です。 観音菩薩は、たくさんの人々をすくうため、33の姿に変身するといいます。十一面観音はそのひとつです。あらゆる方向に顔を向け、人々をすくうため、頭の上に11の顔があります。
四天王は、仏教で世界の中心にあたる須弥山【しゅみせん】から全世界を見張っています。お寺では、東西南北に立っています。北は多聞天【たもんてん】毘沙門天ともいいます)、東は持国天【じこくてん】・西は広目天【こうもくてん】・南は増長天【ぞうちょうてん】が守っています。
真木大堂は、近くにあったお寺にまつられていた仏さまが大集合しています。 四天王は、仏教で守るガードマンです。北は多聞天【たもんてん】毘沙門天)、東は持国天【じこくてん】・西は広目天【こうもくてん】・南は増長天【ぞうちょうてん】が守っています。
まっすぐにたち、思わず「おおっ」となる独特の姿。 ささているのは地天女【ちてんにょ】。 平安京の羅城門【らじょうもん】に安置された姿の毘沙門天です。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
国宝・富貴寺大堂【ふきじおおどう】の阿弥陀如来。 何ともおだやかな姿。阿弥陀如来は、はるか西の極楽浄土【ごくらくじょうど】に住んでいるといいます。富貴寺大堂は、その極楽浄土を再現するために建てられ、阿弥陀如来をとりまく、お堂の壁には極楽の様子などが描かれています。
真木大堂は、近くにあったお寺にまつられていた仏像が大集合しています。 阿弥陀如来は、はるか西にある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。平安時代後半、阿弥陀如来はどんな人でも極楽浄土へ往生させてくれる、という信仰がさかんになりました。この像も、そうした信仰の中で制作されたと考えられます。
大分県にある国宝4つのうちのひとつ。 建物内部には壁画があり、極楽浄土を再現したお堂で、九州で最も古い木造建造物です。
臼杵市大字深田・大字中尾
大分県にある国宝4つのうちのひとつ。 阿蘇山の火砕流が生み出した丘陵に刻まれた仏で、「大地の歴史とヒトのいとなみ」が生み出した結晶といえます。
杵築市山香町大字小武1592-1 小武寺
龍が剣をのみこもうとしています。かっこいい像です。 龍は、不動明王【ふどうみょうおう】が姿を変えたものといわれています。絵画の作品はありますが、彫刻はあまり例がありません。
大分市
柞原八幡宮は、豊後国【ぶんごのくに】の一宮【いちのみや】として、国の役所(国衙【こくが】)や守護【しゅご】の大友氏から敬われました。これらの古文書【こもんじょ】は、豊後国の歴史を知る上で大切な「歴史の証人」です。
宇佐市院内町大門290-2 龍岩寺
写真では、いちばん手前(向かって右)の像です。この像は、たとえば螺髪【らほつ】や衣文【えもん】などが表現されず、ただただ仏の姿だけを刻んだ像です。薬師如来【やくしにょらい】は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといわれます。病気を治すなど、この世の中で私たちを救ってくれる仏として信仰されました。
写真では、いちばん奥(向かって左)の像です。一木造【いちぼくづくり】の巨大な像です。明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在。怖い表情をしていますが、なかでも不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏といわれます。
写真では、真ん中の像です。たとえば螺髪【らほつ】や衣文【えもん】などが表現されず、ただただ仏の姿だけを刻んだ像です。阿弥陀如来は、はるか西の極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。平安時代の後半、阿弥陀如来をおがむことで、命終わった後も、極楽に生まれ変わるという信仰が盛んになりました。
めくるめく、美しくおだやかな浄土の姿。 国宝の富貴寺大堂【ふきじおおどう】の中の壁や柱には、たくさんの仏、阿弥陀如来が住むという極楽浄土【ごくらくじょうど】の様子が描かれています。まさに富貴寺大堂は極楽浄土、仏の世界そのもの再現する建物でした。