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国東市国東町安国寺2245 安国寺
元々は京都のお寺にあった仏像ですが、明治時代に安国寺に移されました。室町時代につくられたもので、とても穏やかなお顔をしています。彩色も良く残っています。
宇佐市南宇佐2077 大楽寺
大楽寺は、元弘3年(1333)に後醍醐天皇【ごだいごてんのう】の願いによって建てられたお寺です。この古文書群【こもんじょぐん】には、後醍醐天皇からの手紙などがあり、大楽寺の歴史を伝える貴重な文化財です。
国東市武蔵町成吉1089 圓明寺
仏教をはじめた釈迦は、のちに釈迦如来としてまつられました。この像は、右手を体の前でかざし、左手を膝の上に置いています。この手のかたちは、「大丈夫、心配ない」という意味です。
国東市安岐町両子1548 両子寺
髪の毛を結いあげ、左手には蓮の花を持っています。このような姿は、観音菩薩の特徴です。観音菩薩をはじめ、菩薩像は冠【かんむり】や首飾りをつけていることが多く、この像も冠や首飾りなどがあったのでしょう。
中津市995番地 浄安寺
阿弥陀如来【あみだにょらい】は、はるか西のかなたの極楽浄土【ごくらくじょうど】に住んでいるといいます。親指と人さし指をつなげて、「OK」のような手の形は、阿弥陀如来の特徴です。お迎えにきましたという意味があります。
臼杵市吉小野4296番地 臼杵市文化財管理センター
臼杵藩では、地元にいる家老【かろう】が1ヶ月ごとに交替で御会所【ごかいしょ】の当番となり、日々の重要なできごとを書きとめました。この日記類には、実にさまざまなできごとが記され、江戸時代の臼杵藩のことを細かく知ることができます。
国東市国東町横手1913 泉福寺
泉福寺は、永和元年(1375)に創建された曹洞宗【そうとうしゅう】のお寺です。境内にある仏殿【ぶつでん】は国指定重要文化財で、この厨子は仏殿の奥に安置されています。
大分市森町549 専想寺
専想寺【せんそうじ】の本尊です。立ち姿の阿弥陀如来で、左手を下におろし、右手を胸の前にかかげています。親指と人さし指で「OK」をつくる手の形は阿弥陀如来の特徴です。
画面の真ん中に、阿弥陀如来【あみだにょらい】が蓮華の上にたち、周りに光線がでています。このような絵は、浄土真宗【じょうどしんしゅう】で本尊としてもまつられ、方便法身像とよばれます。
国東市安岐町大字瀬戸田838 実際寺
観音菩薩【かんのんぼさつ】は、さまざまな姿に変身します。33の姿に変身するといいますが、十一面観音は変身した姿の代表的なものです。
さとりを開いた如来【にょらい】の両脇に、将来如来となる菩薩【ぼさつ】が並んだ3体のトリオを三尊像といいます。釈迦如来の両脇には、普賢菩薩【ふげんぼさつ】と文殊菩薩【もんじゅぼさつ】がならびます。
臼杵市大字臼杵1 八坂神社
八坂神社はもともと「祇園社」として、臼杵城の三の丸にありました。社殿は火災により失われていますが、本殿は安永5年(1776)に造られたものが残り、棟札には安永5年6月3日に上棟【むねあげ】したことや、3回の修理の時期が記されています。部材に多彩な彫物をほどこし、装飾性に富む点がこの建物の特徴といえます。
杵築市南杵築 天満社
杵築藩の町役所の日記と町役所に関わる古文書群【こもんじょぐん】です。江戸時代の杵築城下町のできごとや人々のくらしを知ることができる、貴重な文化財です。
宇佐市院内町 個人
小さな仏像です。銅造で、頭から台座の上半分まで1つの鋳型【いがた】でつくられています。仏像が納められている厨子の後側に嘉禎【かてい】4年(1238)という年号が刻まれています。
阿弥陀如来は、はるか西の極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。この像は、両手を体の前で組んでいます。この手の形は定印【じょういん】といい、あなたの話を聞きますよ、という意味があります。
杵築市大田石丸1328 地蔵寺
石殿は国東半島一帯のみにあります。屋根の下に、地蔵菩薩等を彫った部分があります。このようなデザインの石造物は、大分県独特のものといえます。この石殿は2基で1セットで、龕【がん】に刻まれている柱は面取り(角をなくす)をするなど、丁寧につくられています。
中津市三光田口3567-1
塔婆【とうば】とは供養のために建てられる石の塔のことです。この角塔婆は高さが約1mあり、塔身の四面には種子【しゅじ】が墨で書かれています。北面に彫られている文字から、鎌倉時代末期につくられたことがわかります。
国東市安岐町朝来
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんを三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。この板碑は、碑身【ひしん】の幅が広く、全体にどっしりとしたデザインの板碑です。