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国東市国見町千灯558-1 千燈寺
六郷山【ろくごうさん】の修正鬼会【しゅじょうおにえ】で用いられた面です。面の裏には、江戸時代に宗明という人物が製作したことが墨【すみ】で書かれています。
速見郡日出町豊岡
旧暦9月9日の八津島神社大祭前夜と9月10日の行幸の前に同社境内で行われる楽打【がくうち】神事で、室町時代にはじまったと伝えられています。演目の中に狂言【きょうげん】が加わっていることが特徴です。
豊後大野市千歳町前田
庚申信仰【こうしんしんこう】に基づいて建てられた石塔で、高さ255㎝です。慶長8年(1603)に建てられました。
佐伯市大字堅田
堅田郷八幡社【かただごうはちまんしゃ】の4月1日の祭りに奉納される神楽です。採り物神楽で、神開・入座などの演目があります。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
昭和30年代に、杵築市内を中心として国東半島各地で収集された生活で使用された資料(民俗資料【みんぞくしりょう】)です。鍋【なべ】や鋸【のこぎり】、貝で作られたコマなどたくさんの種類があります。
国東市安岐町両子1548番地 両子寺
修正鬼会【しゅじょうおにえ】で使われていた鈴鬼面です。面の裏にある墨書【ぼくしょ】で、江戸時代に作られて、その後に修理されたことがわかります。
玖珠郡九重町引治
引治天満社の秋祭り(10月1日、10月2日)に奉納される日向系岩戸神楽です。江戸時代に宮崎県高千穂の神主家からきた藤原友種によって伝わったとされています。
豊後大野市緒方町井ノ上
住宅の裏山の岩壁をくりぬいて造られた石風呂です。内部のかまどで石を焼き、薬草を入れた水ために石を投入して、その湯気で蒸浴したといわれています。明治時代の初め頃まで使用されていました。
豊後大野市大野町田代
上津八幡社【あげつはちまんしゃ】の4月10日の祭りに奉納される大野系岩戸神楽です。現在の演目は、柴引などの11演目です。
臼杵市大字臼杵
江戸時代から臼杵に伝わる古い泳ぎの方法です。斜横泳の応用で武具や旗をもつものや立泳の応用泳法には弓術などがあります。
臼杵市野津町大字西神野
熊野神社の旧暦7月7日の祭りに、杖踊【つえおどり】・風流【ふりゅう】が奉納されます。江戸時代に、臼杵藩では雨乞いに風流を奨励していたため、旧暦7月7日は雨乞いの日とも考えられます。
九重町大字後野上17番地の4 九重町歴史資料館
九重町の釘野千軒遺跡【くぎのせんげんいせき】から見つかった、平安時代の鏡です。鏡の裏に草花やおしどりの文様が形作られています。このような鏡が個人のお墓から見つかる事例は珍しく、貴重な発見例となりました。
豊後大野市緒方町軸丸ほか
豊後大野市の緒方地域では、平地が少ないものの、古くから開発が行われ、稲作地帯として発展してきました。阿蘇火山の溶結凝灰岩【ようけつぎょうかいがん】を活かしながら時代ごとに開発をすすめ、文化をはぐくんでいった歴史を伝える景観です。
大分市寿町2番1号 大分県立美術館
今から400年ほど前、江戸時代に描かれた作品です。季節ごとに娯楽を楽しむ庶民のすがたが描かれています。曲芸・狂言・相撲など、昔の人々の楽しみが詰まった作品です。
豊後大野市朝地町朝地
江戸時代の武士のお墓です。写真奥が並古のお墓、真ん中の石碑をはさんで、手前が並増のお墓です。墓碑の後ろにカマボコ形の石があります。このようなお墓のデザインは、儒教【じゅきょう】の影響をうけたものです。
安政6年(1859)に建てられた武家の屋敷です。臼杵藩における質の高い貴重な武士住宅の遺構で、臼杵藩の武土住宅の特徴をよく残しています。
中津市本耶馬渓町東屋形
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。屋成家墓地国東塔は2つあり、1号基の高さは約2mです。銘文により2つとも鎌倉時代につくられたことがわかります。
豊後高田市鼎1351
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。この国東塔は台座と相輪にある蓮の形が少し変わっています。高さは3m余りで、室町時代の初期に作られたと考えられています。