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豊後高田市西真玉 真玉寺
国東半島一帯にあります。屋根の下に、地蔵菩薩等を彫った部分があります。このようなデザインの石塔は、大分県の独特のものといえます。この石殿は、真玉寺の境内にあり、細やかな表現がされている屋根の下の龕【がん】には、六地蔵が彫られています。
宇佐市院内町小坂
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。 それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。地輪に仏の種子【しゅじ】と元徳3年(1331)の年号が刻まれています。
日田市天瀬町馬原
もとは、近くのお寺の跡にあったものを、草三郎大神宮境内に移したと伝えられます。石造五輪塔婆は大分県内では数が少なく珍しいです。横には、同時期のものとみられる角塔婆があります。
中津市大字加来
法垣遺跡は縄文時代の遺跡で、竪穴住居【たてあなじゅうきょ】や墓などが確認されています。また、縄文土器や土偶、石器などが出土しています。竪穴住居群などは、道の駅なかつ内の遺跡公園として整備され、一般公開されています。
中津市大字相原
相原廃寺跡は、飛鳥時代に建てられた古代寺院跡で、建物の基礎とした盛り土(基壇【きだん】)と柱を置く石(礎石【そせき】)2つが残っています。飛鳥時代の寺院跡が一部ではありますが現存している貴重な事例です。
豊後高田市佐野
カワラガマ遺跡は、奈良時代〜平安時代(8世紀末〜9世紀前半)にかけて瓦を生産していた窯跡【かまあと】です。豊後高田市の伝薬王寺跡や宇佐弥勒寺跡で出土した瓦と同じ文様の瓦があることから、近隣の寺院や宇佐の古代寺院で使用する瓦を作っていたことがわかります。
中津市耶馬渓町大字中畑1422 正平寺
鳥居は、神社の参道に建てられています。この鳥居は、正平寺【しょうへいじ】というお寺にあります。お寺に鳥居。仏と神は、一体の存在とする神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考えが表現されています。 また、この鳥居は、梵字【ぼんじ】が刻まれていて、まさに神仏習合を物語る文化財です。
玖珠郡玖珠町大字古後
野平のミツガシワ自生地は、周辺の湿地植物とともに西日本の潜在する湿地植物社会のモデルとなる貴重な自生地です。
大分市永興10 臨済寺
臨済寺【りんざいじ】に安置されている仏像です。つくられたのは平安時代と考えられますが、像に書かれた文字から、江戸時代に修理されたことがわかります。
杵築市大田沓掛1361 宝陀寺
無縫塔【むほうとう】は、上部が丸い形をしている石塔です。丸い形をしているところが塔身【とうしん】で、このようなデザインの塔は、お坊さんのお墓に用いられました。この塔は、宝陀寺を開いた悟庵智徹【ごあんちてつ】(?〜1366)のお墓と伝えられています。
国東市国東町大恩寺2432 文殊仙寺
文殊仙寺の参道に立つ仁王像です。大きな大人の背たけほどある仁王像を、それぞれ一つの石材から彫りだしています。文殊仙寺の記録によると、室町時代につくられたといいます。
豊後高田市蕗2395 富貴寺
石殿は、国東半島一帯にあります。屋根の下に、地蔵菩薩等を彫った部分があります。このようなデザインの石塔は、大分県の独特のものといえます。この石殿は、富貴寺の参道両側にあり、屋根のかざりまで細かく刻まれています。室町時代につくられたものと推定されています。
東国東郡姫島村ス鼻岬
大分県では姫島のみで確認されている鉱物です。姫島の西側、ス鼻沖の海底などで発見されました。藍鉄鉱は鉄のリン酸塩鉱物で、球形のものや動物の骨の形など、さまざまな形状のものがみつかっています。
臼杵市野津町八里合
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑がある地には、「ホウゾウジ」というお寺があったといいます。近くに、国指定重要文化財の五輪塔もあり、かつては「いのりの空間」であったことがうかがえます。
国東市安岐町朝来2588 八坂社
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑には元弘3年(1333)の年号があり、板碑の歴史を知る上で、基準となる板碑のひとつです。
日田市隈2-7-10 祇園山鉾会館
いまから2000年ほど前に中国で作られた鏡です。鏡の後ろに、神聖な獣の文様や、文字、幾何学模様などがみられます。鏡を納めた箱の蓋の裏書によると、江戸時代に日隈山から出土したといいます。
臼杵市深田
特別史跡・国宝の臼杵磨崖仏【うすきまがいぶつ】のうち、山王山石仏【さんのうさんせきぶつ】がある丘陵の上に広がります。この境内林は、イチイガシをまじえたコジイを中心とする林です。この地域の貴重な自然林です。
豊後大野市三重町市場
かつて豊後大野市三重町では、甲斐本鍛冶という有力な刀工集団が刀をつくっていました。この薙刀もその一つで、刻まれた銘文から、江戸時代初めに藤原行家という刀工が作ったことが分かります。