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由布市湯布院町川西
日野病院は江戸時代から続く医者の家系である日野家の3代目、日野要【かなめ】氏によって明治時代の中ごろに建てられました。本館と病棟からなる洋風の2階建ての建物は、県内で最も古い洋風建築物です。
宇佐市北宇佐
宇佐市にある古墳で、いまは土が失われて、むきだしの石室がのこっています。大きな石を箱型に組み立てた石室が特徴です。古墳の前をとおる道は、まっすぐ宇佐神宮につながっており、深い関係がありそうです。
臼杵市吉小野4296番地 臼杵市文化財管理センター
江戸時代の絵図の一大コレクションです。臼杵藩は、江戸幕府から豊後国【ぶんごのくに】の国絵図作成を命じられたこともあり、その中で、さまざまな絵図を収集しました。これが、多くの絵図が伝わったきっかけのひとつとなりました。
日田市天瀬町五馬市
日田市金凝神社にあるふしぎな仮面です。仮面といっても顔に着けるようなつくりではないので、魔除けとして使われたのではないかと考えられます。
玖珠郡九重町田野、後野、町田
飯田高原【はんだこうげん】の北部にある河川に囲まれた深い渓谷で、「十三曲り」と呼ばれる道は、紅葉の名所としても知られています。谷には滝も多くあり、最も奥にある新道の滝は、落差83mと壮大な大きさです。
豊後高田市美和・上屋敷
豊後高田市にある横穴墓群です。横穴の入り口部分に、赤で〇などを描いた装飾をもつ横穴があることや、入り口部分が二段や四段になっている横穴が多いのが特徴です。
中津市耶馬溪町、福岡県
ツクシシャクナゲは樹高4mに達するものもあり、開花時期には淡いピンクの花を咲かせます。経読岳【きょうみだけ】(標高992m)から犬ヶ岳(標高1,130.8m)を経て野峠にいたる両側100mの範囲にシャクナゲが数kmにわたって群生しています。
日出町2830 蓮華寺
釈迦【しゃか】が亡くなる時を描いた絵です。古代インドの暦【こよみ】で2月15日の夜、釈迦は、頭を北に向け右脇を下にして、亡くなりました。釈迦の死を涅槃【ねはん】といいます。この涅槃図で、釈迦は赤い衣をきていますが、これは中国の影響をうけたデザインです。
玖珠郡九重町大字粟野
戦国大名大友氏と地域の領主のかかわりを知ることができる古文書群【こもんじょぐん】です。包み紙(包紙【ほうし】)なども残り、文書のかたちや姿が、当時のまま残っていることも貴重です。
国東市にある古墳です。今は円墳の形をしていますが、かつては前方部が付いていたとみられます。内部には、二重構造になっている特殊な石のひつぎが置かれていました。
大分市大字荷尾杵1161
江戸時代の終わり頃に建築されたとみられる大分市最古の茅葺寄棟造【かやぶきよせむねづくり】の民家です。また、大分県の代表的な直家【すごや】(上から見た形が長方形の平面をしている民家)です。
宇佐市大字下高
土器と聞くと、縄文時代や弥生時代のイメージがありますが、のちの時代までずっと人々のくらしの中で使われてきました。この古文書群【こもんじょぐん】は、宇佐神宮で使われた土器をつくる人々のトップであった土器長【どきちょう】の家に伝わったものです。
大分市八幡987 柞原八幡宮
紺色の紙に金泥で書かれた文字の、きれいなお経です。かつては、神と仏が一体と考えられていました。神仏習合【しんぶつしゅうごう】です。そのため、お宮にお経が伝わっています。お経の終わりに、文和4年(1355)に柞原八幡宮に納められたと記されています。
国東市安岐町富清2507-1 国東市三浦梅園資料館
三浦梅園【みうらばいえん】は大分県で有名な哲学者ですが、その知識は哲学だけでなく、人間のことから宇宙のことまでおよんでいました。遺稿は、江戸時代の「哲人」の足跡を伝えるもので、人々のくらしから宇宙のことまで、さまざまなことを追究した記録です。
縁起は、ものごとの由来・歴史を意味する言葉です。この絵巻は、八幡神【はちまんしん】の歴史そして柞原八幡宮の歴史を絵と詞【ことば】でまとめたものです。
杵築市本庄
杵築市にある円墳です。内部には巨石を使った、大きな横穴式石室があります。明治時代に発掘されており、勾玉【まがたま】や金色のイヤリングがみつかっています。
臼杵市野津町老松
宇佐市大字南宇佐2077 大楽寺
武器のようです。密教【みっきょう】で使われる法具【ほうぐ】のひとつです。武器のようですと書きましたが、もともと古代インドの武器でした。真ん中に持つ所があり、両側にとがった部分があるものを金剛杵【こんごうしょ】といい、五鈷杵はその一種です。