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臼杵市野津町老松
宇佐市大字南宇佐2077 大楽寺
武器のようです。密教【みっきょう】で使われる法具【ほうぐ】のひとつです。 武器のようですと書きましたが、もともと古代インドの武器でした。真ん中に持つ所があり、両側にとがった部分があるものを金剛杵【こんごうしょ】といい、五鈷杵はその一種です。
佐伯市大字狩生
洞内にはキクガシラコウモリ、ヤスデ、トビムシ、ゴミムシなどの動物が生息しています。そのうちカリウオニアリヅカムシ、ノムラメクラチビゴミムシなどはこの鍾乳洞で発見された新種です。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
宇佐神宮の建物工事や儀式などのとりまとめをした家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。いにしえの宇佐神宮の工事や儀式のこと、宇佐神宮の歴史と文化を知る上で、大切な「歴史の証人」です。
大分市大字松岡
大分市に所在する古墳群です。円墳・方墳・前方後円墳など様々な形の古墳がみられます。古墳の変遷を考えるうえで重要な遺跡です。
日田市大字小野
阿蘇4火砕流【かさいりゅう】は、約9万年前に発生した阿蘇火山最大の噴火の際に流れ出た火砕流で、北部九州に大きなダメージを与えました。小野川沿いでは、この火砕流でなぎ倒された樹木群が大量に発見されています。
杵築市大田永松
杵築市の永松天満宮でまつられていた懸仏です。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考え方を基に、神の本当の姿である仏を銅板にとりつけて、まつられていたものです。
佐伯市大手町1-2-25 佐伯市歴史資料館
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。銘文から、当時の有力者であった佐伯惟直が奉納したことが分かります。室町時代、常楽寺は佐伯氏の信仰を受けていたようです。
中津市1290番地 中津市歴史博物館
中津市山国町の新宮権現社に伝わっていた15面の懸仏です。室町時代につくられました。神仏習合の考え方にもとづいてつくられたもので、神の本当の姿である仏を銅板に貼りつけて、まつっていました。
豊後大野市朝地町鳥田1355 神角寺
神角寺の現在の本堂は、今からおよそ650年前に建てられたものが、度重なる修理を経て残されている建築物です。建物の一部の形状には鎌倉時代に禅宗とともに宋から伝えられた寺院建築様式の一つである禅宗様を残すといわれています。
中津市山国町大字守実120番地
江戸時代の終わりごろに建築された住宅で、建築年代がはっきりしている民家としては九州最古の木造住宅です。山国川上流域に多く見られた屋根の面と面とが交わる棟が折れ曲がった形と深くおろした茅葺【かやぶき】屋根が特色です。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
八幡神【はちまんしん】が最初に神輿に乗ったといわれています。 写真の神輿は、豊前国【ぶぜんのくに】の守護大内氏が制作したものです。宇佐神宮には、八幡神・比売神【ひめがみ】・神功皇后【じんぐうこうごう】がまつられていますので、神輿も3基あります。
宇佐市
かんがい(漢字で書くと灌漑)は、水田などの耕地に水を供給することです。かんがい施設には、川をせきとめる堰【せき】や水路、ため池などがあります。 宇佐市を流れる駅館川【やっかんがわ】の西側の平野をうるおす平田井路、東側の台地上の水田をうるおす広瀬井路の2つが登録認定されました。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
石の地蔵菩薩です。裏側に応安元年の年号と制作を依頼した王盛久【おうもりひさ】の名前が刻まれています。つくられた年がわかり、仏像の歴史を知る時、モノサシとなる作品です。
国東市国東町横手1913 泉福寺
室町時代はじめに建てられたお寺の姿を伝えるところです。泉福寺は、永和元年(1375)に創建された曹洞宗【そうとうしゅう】の寺院です。石段をのぼると山門、そして仏殿【ぶつでん】や開山堂【かいざんどう】などがあり、むかしの寺院の風景をうがかうことができます。
正法眼蔵は、日本で曹洞宗【そうとうしゅう】をひらいた道元【どうげん】(1200〜53)の著書です。道元が、これは大事、と考えた禅問答などをとりあげ、自分の考えをいれながら、まとめた本です。正法眼蔵抄は、お弟子さんたちが書いた解説書のひとつです。
日田市大字小迫字吹上原
弥生時代の集落やお墓の遺跡です。お墓からは、青銅や鉄でできた武器、沖縄の貝のブレスレットをつけた人が見つかっています。当時の日田には、外のムラと交流し、きれいなものをたくさんもらっていた指導者がいたことがわかります。
香炉【こうろ】をのせる鉄の台とみられます。浮き彫りの銘文【めいぶん】から、永正3年(1506)につくられ、泉福寺に納められたことがわかります。いつ、つくられたかがわかり、大分県の金属工芸の歴史を知る「ものさし」となる作です。