ホーム » 検索結果
宇佐市南宇佐2176 極楽寺
高さ2.8mの大きな仏像です。室町時代につくられました。宇佐神宮・弥勒寺に関係する仏像として重要です。
国東市国東町岩戸寺1222 岩戸寺
おだやかな姿をしています。 岩戸寺【いわとじ】の奥ノ院【おくのいん】に安置されている薬師如来で、いまは木の素地【そじ】があらわれています。
日出町大字藤原字下免 願成就寺
日出町の願成就寺に伝わる3体の仏像です。残りがよく、衣や体の表現から平安時代につくられたと考えられます。
日田市田島
日田市にある、直径35mほどの大きな円墳です。古墳の上にはハニワが並べられていたようです。日田地域の首長の墓と考えられます。
日田市大山町西大山 烏宿神社
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。銘文から、室町時代に、文奥という人物が奉納し、さらに大蔵永家という武士が改めて奉納したことがわかります。
由布市挟間町朴木・内成・詰、別府市東山
由布川上流部にある長さ数㎞の峡谷【けいこく】で、谷底までは約30mの絶壁となっています。多数の円形状の穴(甌穴【おうけつ】群)が連続している様子や滝が美しい景観をつくっています。
日田市大字友田2893-44 日田市埋蔵文化財センター
弥生時代にお祭りのために使っていた矛【ほこ】です。福岡県から日田市の神社に納められたと伝わっています。
豊後大野市朝地町大字上尾塚
明治時代につくられた、大野川を舟で下るための水路です。車も汽車もない時代では、舟は大事な交通手段でした。大野川は滝が多く、舟で渡るのが大変な川でしたが、滝をよけるように舟路が造られ、竹田から犬飼まで舟で行けるようになりました。
国東市国東町大恩寺
国東半島に広がる天台宗の寺院群を六郷山【ろくごうさん】といいます。文殊仙寺は、六郷山の3つのグループのひとつ末山【すえやま】に属しました。役行者【えんのぎょうじゃ】の開基とも伝えられ、古くから修行の場としてあったと考えられます。
杵築市大田永松 田原若宮八幡社
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この国東塔は簡単に表現した部分があること、全体のデザインから、鎌倉時代〜室町時代初期に作られたとみられます。
豊後高田市加礼川
国東半島に広がる天台宗の寺院群を六郷山【ろくごうさん】といいます。長安寺は、六郷山の3つのグループのひとつ中山【なかやま】に属しました。長安寺は屋山の中復にある寺院で、中世以前は惣山【そうざん】屋山寺と呼ばれる六郷山の中心寺院でした。現地には、本堂や講堂の跡が残っています。
豊後高田市長岩屋
国東半島に広がる天台宗の寺院群を六郷山【ろくごうさん】といいます。天念寺は、六郷山の3つのグループのひとつ中山【なかやま】に属しました。中世は長岩屋とよばれ、かつては、天念寺がある谷全体が境内地とされました。現在も、講堂や身滌神社【みそそぎじんじゃ】、川中不動などのゆかりの文化財をみることができます。
杵築市山香町大字山浦
泉福寺跡とよばれるお堂の境内にある国東塔です。凝灰岩【ぎょうかいがん】でできており、装飾がいくつか省略されています。塔身には多数の銘文【めいぶん】が刻まれており、その中に観応3年(1352)の年号があり、室町時代初期の作とわかります。
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、頂上部が三角形でなく、キュッとつまみあげたような独特の形をしています。また、額部も丸みをおびたデザインです。高さ2.62mの板碑です。
中津市大字大貞209 薦神社
江戸時代はじめ細川忠興によって建立された高さ約12メートルの神門です。下の段である初重の屋根の下に裳階【もこし】と呼ばれるひさし状の飾り屋根が付いた珍しい構造の九州地方を代表する建築物です。
日田市大山町大字西大山3603番3
矢羽田家住宅は、熊本県から福岡県南部に分布する「くど造り」住宅の民家として県内で唯一現存するものです。「くど」は竈【かまど】のことを指し,建物を上から見るとコの字型になっており、屋根全体が竈のように見えるため「くど造り」と呼ばれています。
由布市挾間町挾間
いまの由布市挾間町周辺を鎌倉時代〜室町時代に治めていた挾間氏の墓地といいます。 県指定有形文化財の五輪塔を含めて20数基の五輪塔が並びます。なかには、寄せ集められ異なる組み合わせで積み上げられたものがありますが、挾間氏の墓石とみられるものが4基あります。
豊後大野市三重町奥畑
熊野神社に所属する御嶽流【おんだけりゅう】の神楽座です。奥畑神楽は熊野神社以外にも市内の10社を超える神社に奉納をしています。舞は33番で構成されています。