ホーム » 検索結果
大分市庄ノ原
大分市にある前方後円墳で、大分市の中では最も古いと考えられます。古墳の周りには周溝がめぐっています。後円部からは、石を組み合わせて作った棺が見つかっています。
大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館
豊臣秀吉がおこなった太閤検地【たいこうけんち】の時に作成された検地帳の写【うつし】と江戸時代はじめの検地帳が伝わっています。最初の写真2枚は、臼杵の「惣町屋鋪【そうまちやしき】」の検地帳です。当時の臼杵城下の町の様子を知ることができます。
豊後大野市大野町桑原
豊後大野市大野町にある、全長約45mの前方後円墳です。後円部からは、石のひつぎが見つかっています。古墳の形や出土した遺物から、古墳時代前期につくられたと考えられています。
中津市本耶馬渓町曽木
夜空にうかぶ北極星(北斗七星とする説もあります)を、仏教では妙見菩薩として信仰しました。妙見菩薩は「星の仏さま」とよばれます。 この像は平安時代の作とみられますが、「星の仏さま」の像は、大分県内でもあまり例がない像です。
日田市大日町
高さが50㎝ほどの室町時代につくられた仏像です。もともと日田市の安養寺にありましたが、大友氏の兵火で寺が焼け、像は持ち出されたと伝わっています。
大分市賀来
大分市にある古墳です。石室の中に、大きな石の棺が置かれています。6世紀後半頃につくられたと考えられます。
佐伯市大字上岡
佐伯市上岡でまつられている3体の仏像で、平安時代につくられたと考えられます。当時の上岡地域をおさめた佐伯氏の影響でつくられました。
豊後高田市田染蕗2395 富貴寺
全部で3つあります。1つは菩薩面【ぼさつめん】、あと2つは男女の面です。平安時代の作とみられますが、仮面は実際に行事で使われるため、仏像と比べて現代まで伝わる例がより少なく、大切な作品です。
豊後高田市長岩屋1152-1 天念寺
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。吉祥天は、もともとインドの女神です。その姿を表現する時、着物のヒモの結び目が体の前に2ヶ所あり、中国の女性の服装をしています。
国東市国見町野田
左手を胸のところにあげ、右手を手のひらを上にむけておろしています。この手の形は、大丈夫、心配ない、という意味です。この像は少しきびしめの顔ですが、これは仏師【ぶっし】の個性か、制作を依頼した人の求めなのかはわかりません。仏像の顔にも個性があることが、わかります。
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。仏のなかで、如来は手のかたちで名前がわかりますが、この像は両手先がなくなっています。ただ、釈迦如来と伝えられてきた像です。
大分市八幡987 柞原八幡宮
一木造【いちぼくづくり】の像です。1本の木でつくると、ひび割れなどができる可能性が高くなるため、内刳り【うちぐり】などをして防ごうとします。しかし、この像は内刳りもなく、ただただ1本の木からつくることを第一とすることを意識した像です。
天念寺【てんねんじ】は、国東半島独特のおまつりの修正鬼会【しゅじょうおにえ】が開催されるお寺です。勢至菩薩は、観音菩薩【かんのんぼさつ】とともに、阿弥陀如来【あみだにょらい】とトリオになる菩薩です。
豊後高田市小田原
堂々として、やわらかな姿をしています。両手が失われ、焼けた跡もあります。かつて、近くにあった西叡山【さいえいざん】からとんできたと伝えられる観音像です。国東半島の仏像でも、古い時期の作です。
大分市勢家町 法專寺
聖徳太子が二歳のとき、手を合わせて「南無仏」【なむぶつ】と唱えたという伝承をあらわした像です。像に残された文字から、室町時代に康成という仏師によってつくられたことがわかりました。
金剛宝戒寺 大分市上野丘
聖徳太子が二歳のとき、手を合わせて「南無仏」【なむぶつ】と唱えたという伝承をあらわした像です。かわいらしい姿のなかに、高い技術がみとめられる作品です。九州でも古いもので、貴重な作品です。
個性豊かな表情の像です。頭巾【ずきん・ときん】をかぶったお坊さんの像とみられますが、誰を表現しようとしたのか、その姿には手がかりをみつけることができません。柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】では、同宮を開いた金亀【こんき】和尚の像と伝えられています。
竹田市大字拝田原159
江戸時代に、岡藩を治めた中川家の3人の当主の像です。江戸時代のお殿様の彫刻として重要な作品です。神社のご神体として大切にされており、つくられた時の姿をよく残しています。