国指定 史跡
かんぎえんあと
咸宜園跡
日田市淡窓町
国指定 史跡
かんぎえんあと
咸宜園跡
日田市淡窓町
江戸時代の日田市豆田町で、広瀬淡窓【ひろせたんそう】が開いた私塾【しじゅく】です。
この塾の卒業生には、明治時代に活躍した有名な医者、学者、軍人、政治家などたくさんいます。
もっとくわしく
広瀬淡窓【ひろせたんそう】(1782年〜1856年)は、文化2年(1805年)に豆田町長福寺内に初めて私塾を開き、文化14年に伯父広瀬月化の隠宅秋風庵【しゅうふうあん】に隣接して咸宜園を開きました。
咸宜園は、淡窓の死後も明治30年(1897)頃まで存続し、全国各地から4,615人もの門人を集め、大村益次郎や清浦奎吾【きようらけいご】など、近代日本で活躍した多くの人材を輩出しました。
咸宜園の敷地は、道をはさんで東西にまたがっていました。西側では井戸が、東側では秋風庵や倉庫などを見ることができます。
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指定年月日 1932/7/23 -
管理団体 日田市