おおいたもとまちせきぶつ
大分元町石仏
大分市元町
おおいたもとまちせきぶつ
大分元町石仏
大分市元町
元町の崖に高さ5mのくぼみがあり、その中に3体の仏像が彫られています。
中央にある一番大きな仏様は薬師如来【やくしにょらい】といい、健康を願う人々に信仰されていました。
そのため、元町石仏は別名「岩薬師【いわやくし】」とも呼ばれています。
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定朝様【じょうちょうよう】
定朝様(じょうちょうよう)
定朝(?~1057)は、平安時代に活躍した仏師【ぶっし】で、寄木造【よせぎづくり】という技法を完成させました。定朝が生み出したデザインをいい、おだやかな姿で、体の奥行が分厚くないなデザインです。定朝は、藤原道長【ふじわらみちなが】(966~1028)や子どもの藤原頼通【ふじわらよりみち】(992~1074)がつくったお寺の仏像を制作しました。そして、「法眼【ほうげん】」という位をもらいました。のちに、子どもや弟子たちが定朝の仏像そっくりのものをつくりました。
もっとくわしく
元町台地東側の岩壁にあります。中央に像高3.07mを測る堂々とした薬師如来坐像【やくしにょらいざぞう】、左隣に不動明王二童子像【ふどうみょうおうにどうじぞう】、右隣に毘沙門天立像【びしゃもんてんぞう】が彫られています。
ほぼ丸彫りにされている薬師如来像は定朝様【じょうちょうよう】の伝統を踏襲しており、平安時代後期につくられたと考えられます。
両手首先が欠損していますが、元は別の石でつくられた手がつけられていたようです。
両隣の像も大きく欠損していますが、つくられた時期は、薬師如来と同じく平安時代後期と考えられます。
現在では、覆屋【おおいや】も含めて「岩薬師」と呼ばれています。
定朝様(じょうちょうよう)
定朝(?~1057)は、平安時代に活躍した仏師【ぶっし】で、寄木造【よせぎづくり】という技法を完成させました。定朝が生み出したデザインをいい、おだやかな姿で、体の奥行が分厚くないなデザインです。定朝は、藤原道長【ふじわらみちなが】(966~1028)や子どもの藤原頼通【ふじわらよりみち】(992~1074)がつくったお寺の仏像を制作しました。そして、「法眼【ほうげん】」という位をもらいました。のちに、子どもや弟子たちが定朝の仏像そっくりのものをつくりました。
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指定年月日 1934/1/22 -
管理団体 大分市