ふきじけいだい
富貴寺境内
豊後高田市田染蕗
ふきじけいだい
富貴寺境内
豊後高田市田染蕗
富貴寺境内は、平安時代後期に建立された富貴寺大堂【ふきじおおどう】(国宝)を中心とした寺院です。六郷山寺院の構造や平安時代以降の浄土信仰【じょうどしんこう】を考える上で貴重な遺跡です。
-
種子【しゅじ】
種子(しゅじ)
仏を梵字1文字で表現したものです。
もっとくわしく
富貴寺は、12世紀以前に創建された寺院で、初めて史料にあらわれるのは、貞応2年(1223)の「蕗浦阿弥陀寺【ふきうらあみだでら】」の文書です。当時は宇佐神宮の神官集団の長であった大宮司家の祈願所【きがんしょ】でしたが、14世紀前半の南北朝時代には、九州にきた南朝のリーダーの懐良親王【かねよししんのう】を支えた武士である調氏【しらべし】に押領【おうりょう】されていました。調氏は、大堂の大修理も行っています。この頃には、富貴寺は天台宗の六郷満山の一末寺となっていたと考えられています。
江戸時代には、大堂(講堂)、院主坊【いんずぼう】(現本堂)、客殿のほかに,六所権現社【ろくしょごんげんしゃ】、薬師岩屋【やくしいわや】(祠)等がありました。現在は大堂(国宝)のほかに、宝暦11年(1761)建立の六所権現社、正徳5年(1715)建立の本堂、奥ノ院などが存在します。境内には笠塔婆【かさとうば】5基、国東塔2基のほか多くの石造物があります。笠塔婆の種子【しゅじ】は、阿弥陀仏【あみだぶつ】まてゃ阿弥陀三尊が多く、阿弥陀を信仰すれば死後浄土へ行けるという教えの浄土信仰に根ざして造立されたと考えられています。
富貴寺境内は、平安時代後期に建立された大堂を中心とした寺院の伽藍【がらん】で、六郷山寺院の構造の一形態を示す貴重な事例であるとともに、平安時代以降の浄土信仰を考える上でも貴重な遺跡であると考えられています。
種子(しゅじ)
仏を梵字1文字で表現したものです。
-
指定年月日 平成25年10月17日 -
管理団体 豊後高田市