県指定 史跡
ほあしばんりはか
帆足万里墓
速見郡日出町狐塚
県指定 史跡
ほあしばんりはか
帆足万里墓
速見郡日出町狐塚
帆足万里は、日出藩家老の家に生まれた江戸時代の窮理【きゅうり】の学者です。三浦梅園【みうら ばいえん】・廣瀬淡窓【ひろせ たんそう】とともに「豊後三賢」の一人にあげられ、学問・教育にその生涯を尽しました。
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帆足万里は安永7年(1778)日出藩家老の家に生まれ、嘉永5年(1852)没した江戸時代の窮理【きゅうり】の学者です。三浦梅園【みうら ばいえん】・廣瀬淡窓【ひろせ たんそう】とともに「豊後三賢」の一人にあげられ、学問・教育にその生涯を尽しました。通称は里吉、字は鵬卿です。代表的著作として「肄業余稿」「窮理通」「東潜夫論」などがあり、その内容は、政治・経済・天文・物理・医学など多方面にわたっています。天保13年(1842)から始めた私塾西エン精舎(エンは山に奄)【せいえんせいしゃ】での米良東喬・毛利空桑【もうり くうそう】らの門弟は「帆足門下十哲」と称されます。墓は、龍泉寺内にあり、「文簡帆足先生墓」と刻まれています。
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指定年月日 昭和33年3月25日