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エリア

九重町

県指定 有形民俗文化財

じうんじあとこうしんとう

慈雲寺跡庚申塔

玖珠郡九重町野上

県指定 有形民俗文化財

じうんじあとこうしんとう

慈雲寺跡庚申塔

玖珠郡九重町野上

安土桃山時代に、庚申信仰【こうしんしんこう】にちなんで作られた石の塔です。「花庭浄覚」という野上氏の武将で、後に京都で禅の修行をしたとされる人物の名前も記されています。

庚申信仰(こうしんしんこう)

庚申の夜に体内からぬけだした虫が、天帝に人の罪を告げることで、命を縮めることから、そのようにならないように徹夜をする庚申待が江戸時代に盛んに行われました。

用語解説

  • 庚申信仰【こうしんしんこう】

    庚申信仰(こうしんしんこう)

    庚申の夜に体内からぬけだした虫が、天帝に人の罪を告げることで、命を縮めることから、そのようにならないように徹夜をする庚申待が江戸時代に盛んに行われました。

もっとくわしく

自然石上に笠【かさ】をのせた形式の石塔で、総高は130cmです。正面上部の月輪【がちりん】内に「まんじ」の記号が彫られています。銘文は風化が激しいため、人名等判読が難しい箇所もありますが、天正11年(1583)に庚申供養【こうしんくよう】として、現世安穏・後生善処を願うために造立したことが分かります。
国清寺前住の名をはじめ多くの人名が彫られていますが、その中に「花庭浄覚」の名があります。彼は、野上氏の武将で、後に京都で禅の修行をした後、清水寺(由布市庄内町)を再興した人物といわれています。現存する大分県内の庚申塔では、5番目に古いものです。

  • 指定年月日していねんがっぴ
    昭和54年5月15日
  • 所有者しょゆうしゃ
    個人