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県指定/記念物/史跡

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江戸時代

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大分市

県指定 史跡

もうりくうそうはか

毛利空桑墓

大分市常行

県指定 史跡

もうりくうそうはか

毛利空桑墓

大分市常行

毛利空桑は、江戸時代から明治時代の学者・教育者で、私塾「知新館」(のち知来館)を開きました。空桑の墓碑には「日本国儒者毛利到墓」と記されており、隣には夫人の墓があります。

もっとくわしく

毛利空桑は、寛政9年(1797)熊本藩領常行村に生まれました。名は倹、通称到です。脇蘭室・帆足万里・大城霞坪・亀井元鳳に学び、文政7年(1824)郷里で家塾「知新館」(のち知来館)を開きました。居を鶴崎に移し、私塾を営むー方鶴崎茶屋などで講義をし、藩の設立した成美館の訓導となりました。幕末には尊王派を支援し、高田源兵衛・大楽源太郎らが空桑のもとを訪れました。明治17年(1884)に没しました。空桑の墓碑には「日本国儒者毛利到墓」と記されており、隣には夫人の墓があります。

  • 指定年月日していねんがっぴ
    昭和62年6月29日