県指定 史跡
もうりくうそうきゅうたくおよびじゅくあと
毛利空桑旧宅及び塾跡
大分市鶴崎
県指定 史跡
もうりくうそうきゅうたくおよびじゅくあと
毛利空桑旧宅及び塾跡
大分市鶴崎
毛利空桑(1797〜1884)は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した教育者です。安政4年(1857年)に現在の場所に居宅と塾を移した際に、居宅を「天勝堂【てんしょうどう】」、私塾を「知来館【ちらいかん】」と名付けました。その建物が現在も残っています。
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毛利空桑(1797〜1884)は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した教育者です。現在の大分市常行に生まれ、各地で学んだ後、文政7年(1824年)に常行に戻り、塾を開きました。安政4年(1857)に、熊本藩から鶴崎定詰子弟の教導方を命じられ、金40両と鶴崎西浦の番宅跡地を与えられ、新町の家屋と塾を現在の場所に移転・改築しました。居宅を「天勝堂【てんしょうどう】」、私塾を「知来館【ちらいかん】」と命名しました。その建物が現在も残っています。
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指定年月日 昭和45年3月31日