国指定 史跡
ふくざわゆきちきゅうきょ
福沢諭吉旧居
中津市
国指定 史跡
ふくざわゆきちきゅうきょ
福沢諭吉旧居
中津市
福沢諭吉は、『学問のすゝめ(すすめ)』などの著作で有名な明治地代の思想家です。中津で過ごした時の茅葺き【かやぶき】屋根の家や瓦葺き【かわらぶき】の土蔵が残されています。
もっとくわしく
福沢諭吉は、明治地代の代表的な思想家であり、慶応義塾創立者として近代教育発展に大きく寄与した人物です。天保5年(1834)中津藩大坂蔵屋敷に生まれましたが、父の死により同7年に国元の中津に戻りました。
当初は、留守居町の元来の屋敷(間口2.5間、奥行15間、通称旧宅跡とする場所)に居住しました。この旧宅について諭吉は「一兄三姉卜共二眠食シテ母ノ保護ヲ蒙」ったと記しています。諭吉が16〜17才の嘉永初年に、北側の往来をはさんだ母の実家(橋本家)を買い取り、移り住みました。これが現在の旧居のある地になります。長崎に遊学するまでの4〜5年間ここに住み、白石照山塾に通いました。その後、大坂の適塾を経て、江戸に移り、生涯のほとんどを東京で過ごしました。明治3年(1870)、「中津離別之書」を記し、母お順らを伴い福沢家が中津を離れるまでたびたびこの家で暮らしています。
旧居の母屋は、木造茅葺平屋建で、その北に木造瓦葺の土蔵があります。諭吉は、明治27年帰省の折、土蔵の壁土を記念に持ち帰ったといいます。
-
指定年月日 昭和34年5月13日