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指定区分していくぶん

県指定/記念物/史跡

時代じだい

江戸時代

エリア

大分市

県指定 史跡

わきらんしつはか

脇蘭室墓

大分市鶴崎寺司浜

県指定 史跡

わきらんしつはか

脇蘭室墓

大分市鶴崎寺司浜

脇蘭室は、江戸時代の教育者で、速見郡の郷里で塾を開いた後に、熊本藩領の鶴崎(現在の大分市鶴崎)で藩士の子弟教育にあたりました。墓碑の「文教脇先生墓」は、郷里の塾で学んだ帆足万里【ほあし ばんり】の書です。

もっとくわしく

脇蘭室は、明和元年(1764)速見郡小浦に生まれた江戸時代の教育者です。名は長之、字は子善、通称儀一郎、蘭室のほか愚山とも号しました。熊本藩の薮孤山【やぶ こざん】、杵築藩領の三浦梅園【みうら ばいえん】、大坂の中井竹山【なかい ちくざん】らに学び、郷里で塾をひらきました。この塾に、帆足万里【ほあし ばんり】も入塾しています。寛政11年(1799)から熊本藩領の鶴崎(現在の大分市鶴崎)で定詰藩士の子弟教育に当たりました。これ以降、文化11年(1814)に没するまで鶴崎に居住しました。代表的著作として「代頌編」「国用略」「鶴崎夜話」「党民流説」などがあります。墓碑の「文教脇先生墓」は帆足万里の書です。

  • 指定年月日していねんがっぴ
    昭和32年3月26日